7月24日の千寿会は小林千寿さんの他、福井正明九段が講師として来たくれた。
福井正明九段は江戸の碁のスペシャリスト。著書に囲碁史探偵が行く −昔と今 碁打ちの物語− などがある。
7月14日、いま評判の天地明察の著者冲方丁さんのインタビューが行われた。
出席者は現役最高年齢の杉内雅夫九段(大正九年生まれ)・依田紀基九段・小林千寿五段。それに司会として秋山賢司さん、碁の解説では春秋子の名で親しまれている方だ。
このインタビューは8月の初めころの「週間碁」と「碁ワールド」に載る。この話が聞けるかと思っていたら一切なし。発売までお待ち下さいだ(^。^)。
その前にわたしたちはいろいろな疑問を千寿師父にぶつけてあったので、その解説者として、福井正明九段を講師に招いてくれた。
わたしは早めに行ったので、さっそく指導碁を申し込む。三面打ち。
打ち終わって碁を振り返って解説してくれるが、いろいろ説明されたあと、わたしは言った。
「ここに先生に打たれて、もう足りなくなったと思った」
「その判断は正しい」
と、わたしが褒められたのはその一回だけ。まわりにいた人に笑われてしまう。
四時過ぎには指導碁も終わり、自由対局も終えて、福井正明九段の安井算知や安井算哲の碁などの解説が始まる。それ以外にもいろいろな疑問がでた。
その途中で秋山賢司さんも登場。「囲碁史探偵が行く」を実際にペンを執ったのは秋山賢司(春秋子)さんなのだ。この方も博識で著作が多い。わが書庫でも 碁のうた 碁のこころ を紹介している。
わたしは福井正明九段に 天地明察 で書いた内容をいくつか訊いた。次の話はほんの一部。
江戸城に登城するときは、刀は差さないとか。
碁方はみんな坊主頭であったとか。
将軍の中で実際に碁を打ったのは、家康以外は十五代慶喜と十四代家茂がいるが、その他は判らないとか。
昔の政治家はみんな碁が強く、碁を打たない政治家は珍しいとか。そのため碁を打つことを前提として話をしているとか。
二人は二次会にも参加してくれたので、二次会はいつもの倍の人数になった。それぞれが勝手に話をはじめるとわ〜んとなってよく聞こえなくなってしまう。
なんとか秋山さんの隣に行き、少し話ができた。うれしいことに金庸小説も読んでいる。わたしと違ってあらゆる本を読んでいるので、金庸に拘ることはしない。
この時初参加の方が、わたしの千寿会に投稿している文を読んで、「かなりの高齢の方だと思っていた。こんなに若い方だとは思わなかった」と言う。何歳くらいに思っていたのだろう。
その文とはカテゴリー「千寿会」や「謫仙楼対局」などの文である。創作もある。
例として小嫦娥との謫仙楼対局をとりあげる。
使われている名前はわたしが勝手につけたハンドルネーム、次の手段はもちろん創作で、本当にあるわけではない。
小嫦娥は動ずる風もなく、中央の黒を嫦娥奔月で逃げた。
わたしは右辺星下に打ち込んだ。小嫦娥は低く貂蝉拝月で応じる。
謫仙喝酒には文君当炉、落花流水には楊妃酔酒、詩仙在楼には玄機献詩。明らかに取りかけにきている。
老虎渡河には昭君出塞、最後の狙い百花錯拳にもきっちりと文姫帰漢。わたしは投了した。
いかがであろうか。碁の話のようでも、碁にこのような用語はない。
さて、その中に「謫仙酒」とか「江南有情」という酒の話がある。これもわたしの創作で、本当にそんな酒があるわけではない。
誤解されないように念のため、酒のことも書いておく。
酒の名は、射G英雄伝の第二巻が「江南有情」でそれから取った。実際にネット検索をして、そのような酒がヒットしないことも確認した。
謫仙酒については、秘曲笑傲江湖の第二巻にある。令狐冲が華山の思過崖で一年間の謹慎をさせられている。そのとき強姦魔の田伯光は、長安の謫仙楼の酒蔵に入り、二百かめ以上あった謫仙酒百三十年ものを二かめだけ盗って、残りのかめは全部たたき壊してしまう。そしてその二かめを持って思過崖に訪ねてくる。
これは金庸ファンには有名なシーンだ。わたしのハンドルネームが謫仙でもあるので、ここから名をかりた。