この衢州爛柯山については前に 笑傲江湖の碁 に書いたことがある。
その中に碁のシーンが三回あるが、それはドラマでの話。原作小説ではどうかというと、碁のシーンは西湖の梅荘での一回だけだ。内容も少し違う。
ドラマでは
向問天は江南四友の興味を引くため、楽譜や棋書などを持参する。
その棋書に出てくる棋譜は12あると言うが、説明があるのは次の3棋譜。
★王質が爛柯山で仙人と会ったときの対局
★劉仲甫と仙人の驪山での一局
★王積薪のキツネ妖怪との対局
小説は、秘曲笑傲江湖 第四巻「天魔復活す」のP28〜P29に、
「…
譬えて言えば、碁を打つときでも、上品な打ち方と言うものは…」
向問天の言葉に、黒白子は白眼を剥いた。相手の肩を鷲づかみにして、
「あんたも碁をやるのか」
「それがしは大の囲碁好きじゃが、腕が凡庸でのう。そこで全国あまねく旅して、棋譜を探し回った。この三十年来、胸に刻んだ好局なら数知れんわい」
「どのような好局じゃ?」
「例えば、王質が爛柯山で仙人と逢ったときの対局、劉仲甫と仙人の驪山で仙人と相対した一局、王積薪と狐との対局…」
みなまで言わせず、黒白子はしきりに首を振った。
「そんな神話は信じられるか。どこにそんな棋譜がある?」
まだ続くが、小説では棋譜を記憶していると言うのであって、棋書を見せるのではない。これが文字の小説と映像のドラマの違いか。
P30には
「本当に劉仲甫と仙人が対局した棋譜を見たことがあるのか? 記述によれば、劉仲甫は当時の国手であったが、驪山のふもとで田舎の婆さんにしたたかに負かされて、その場で数升も血を吐いたと。それでこの棋譜を『嘔血譜』と称したのじゃ。この世に『嘔血譜』なるものが、本当に存在するのか?」
そこで棋室に行って並べることになる。
じらしたり、意見を聞いたりしながら並べるのだが、それはかなり碁に詳しい人でないと書けない内容。碁好きの金庸老師の面目躍如というところだ。
まず碁盤の四隅に碁石を置いてから、次々と白石と黒石を並べていった。
略
向問天は第六十六手目を置いたのち、しばらく手を休めている。…
この時白石を持っている。
この物語の時代は明の時代と思われる。そして並べられている碁は宋の時代の碁である。
★タスキに石を置いてから対局を始めた。
★六十七手目は白である。故に白から打ち始めた。
ということになる。金庸老師が必ずしも史実に忠実というわけではないので、これは参考だが、宋の碁は白から打ち始めた可能性が大きい。
前に紹介した 倚天屠龍記の碁 でも白から打ち始めている。それは南宋の終わりごろの物語だ。