2010年09月08日

小説・古今亭志ん朝

小説・古今亭志ん朝
金原亭伯楽   本阿弥書店   07.1
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 平成13年10月1日、志ん朝さんが六十三歳で鬼籍に入った。
 志ん朝さんが好きで落語家になったという、金原亭伯楽さんの、見た知った志ん朝一代記だ。しかし、伝記ではなく小説。そのためどこまで本当か気になるところ。彼女との二人っきりの会話などは創作としても、いろいろな出来事がどこまで創作か。
 わたしが特に気になったところは落語協会分裂騒動の経緯。
 まえに、三遊亭円丈の「御乱心」を紹介したことがある。その内容と比較してしまう。
 志ん朝が弟子たちのために復帰するのは同じだが、騒動の経緯がかなり違う。特に独立案の創案者がこの小説では立川談志。あちらは三遊亭円楽(先代)。
 どちらが本当かは判らないが、その後の行動でわたしの知るところでは、この本の方が腑に落ちる。後から書いたので、読者が納得できるように書いたであろう。まあそれぞれに思惑があったのだろう。
 わたしが寄席に行っていたころ、好きだったのが、この志ん朝をはじめ、馬生(志ん朝の兄)・円生・談志などで、それらの人たちのそのころの様子がはっきりしてきた。

 この本の中で驚くのは志ん朝が三億円の豪邸を建て、その地下室を大きな稽古場にしたこと。本来協会が作るべきだが、それを個人で作ってしまう。その建物はいまどうなっているのだろう。稽古場として使われているのだろうか。

 もうひとつ特筆したいのは、兄弟(馬生・志ん朝)の病に対する態度。
 馬生はガンの手術をすれば治るが声は出なくなる、と言われて手術を断る。落語を話せない自分に生きる意味はないと考えたのだ。同時にそれを告げる医師にも拍手を送りたい。
 よくガンを知らせないという考えの医師がいる。わたしは知らせるべきだと思う。死ぬ準備が必要だからだ。ガン保険など医師がガンだと言わなければ申請できない。入院費用の負担もある。
 小説とはいえ、どこまで創作でどこまで事実か。かなり気にしながら読み終えた。

注:かなり前だが、看護婦が不調を訴え検査したら、胃ガンであった。それなのに医師は「胃潰瘍」と告げた。看護婦はそれならと、胃潰瘍の薬を用意して旅に出た。その無理で間もなく亡くなった。その話を新聞で読んだとき、医師の、ニセの病名を告げることによる殺人事件ではないかと思った。
 当時は、病名を告げるか告げないかで揺れていたころ。告げたら告げたで別な問題があると言われていたので、100%悪いとは言いきれないが、わたしは告げねばならないと思う。
posted by たくせん(謫仙) at 09:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ご無沙汰しておりました。
落語家さん、こちら関西の古くからの系統である笑福亭が数十年ぶりに襲名があります。関西も関東も今は落語ブームであちこちの寄席が満杯になるようでめでたいことです。

ガンについては、メンタルによる考慮・配慮もいるとは思いますが、僕も基本的には告知すべき派です。僕は若いときにガン宣告されて余命もいくつと20代の頭で言われたんですが、今思い出しても言ってくれてよかったなと思いますし、言ってくれてなかったら気力で立ち向かえずそのまま若いうちの進行の速さであっけなく死んでいたかも知れません。
Posted by 樽井 at 2010年09月20日 03:11
樽井さん
落語ブームでも、寄席よりも独演会などに人気があるようです。落語を聞きたいよりも、誰々の落語を聞きたい、という。
寄席は時間が短いので、漫談あるいはまくらだけで終わったりするので、わたしは足が遠のきましたが、今はどうなんでしょうか。

二十代でガンですか。それは大変でしたね。今では治ることが多くなったので、環境が変わったと思いますが、なんだか判らないが体調が悪いより、原因が判った方が、何をしたらいいいか判断が付きやすかったと思います。
Posted by 謫仙 at 2010年09月20日 08:54
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