2010年10月09日

戦国時代の大誤解

鈴木眞哉   PHP新書   07.3

 しばらく中国旅行の話が続いた。終わったわけではないが一休みして、本の話を。

 人々が歴史を知るのは教科書ではなく、時代小説やテレビドラマである。特にNHKの大河ドラマは小説などを基にして作られているのに、史実と思い違いをしている人が多い。
 例えば、豊臣秀吉は、吉川英治の「新書太閤記」であり、坂本竜馬は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」が中心である。
 大河ドラマなどはかなりの部分がフィクションで、この本はその歴史の見方扱い方を再検討している。目次を見てみよう。

  怪しい人たち
  歪められたヒーローたち
  うそっぱちの名場面
  おかしな風景
  不思議な合戦シーン


 例えば、北条早雲という人がいる。ところが、早雲は名ではなく庵号であり、北条という名字は息子の代になってから。そうなると北条早雲という人物はいなかった。
 例えば、女性の名前は判っていないことが多く、誰々の娘というような言い方をする。小説では著者が適当に付けている。
 例えば、真田幸村は真田信繁が本名で、幸村の名は江戸時代の軍記物の影響。当然当時は幸村とは言われていない。
 例えば、ドラマでは名を呼ぶことが多いが、実際は通称とか官名で呼ぶ。
 こんな具体的な例もあれば、次のように論証した例もある。
 桶狭間の戦いは奇襲ではない。関ヶ原の合戦は徳川方が有利だったとはいえない。山崎の合戦では、天王山は無関係。川中島の一騎打ちはあり得ない。墨俣には数年前から城があり、一日でできたわけではない。その他、鉄砲や刀や馬の使い方の疑問など。
 つまり、常識を確認しようとすると、それを覆すような史実があちこちにあるのだ。
 水戸黄門を見て、これを史実たと思う人はいないだろうが、大河ドラマでは史実と思いこんでしまう人が多い。ドラマの作者でさえ原作を史実だと思いこんでいる人がいる。

 この本をはじめ、こういう角度から論証した本が最近目に付くようになった。ただしどのくらいの研究によるのか心許ない。それが昂じてアマの文章では、歴史上の人物の定説に対する疑問を、疑問があるというだけなのに、まるで否定が決まったかのように書いている文まで見うけられる。それでも定説を盲信するよりましとはいえ、過ぎたるは及ばざるが如し。判らないことは判らないと認識するのが正しい。
posted by たくせん(謫仙) at 07:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
奇しくも私も自身のブログhttp://blog.goo.ne.jp/amachan_001で似た内容を書きました。
ご指摘、拳拳服膺と云うことですか・・・。
Posted by amachan_001 at 2010年10月11日 21:29
このような歴史の虚構は知っている人がいなくなると、真実と分けられなくなる可能性がありますね。
日本の場合、庶民でもそのようなことを考えるひとが大勢いて、僅かの資料から、真実の姿を見いだす努力が続いています。
盲信しないというだけでも大変なこと。
それと同時に小説家の構想力にも感服します。判っている資料から、間を想像して埋めていく。それがうまく埋まった場合、上のような仮の歴史になってしまいます。読者は楽しめればいいといっても、これは小説ですと理解して読むかどうか。読書力も問われますね。
この本のような、「真実は……」という話を受け入れることができなくなっては困ります。
Posted by たくせん(謫仙) at 2010年10月13日 08:00
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