2010年10月27日

戦国軍事史への挑戦

鈴木眞哉   洋泉社   10.6

「戦国時代の大誤解」と同系統の本である。軍事史に焦点を当てた。
刀・槍・弓矢・鉄砲、これら主要な武器と言われている武器の、実際の使い方や戦い方を検証している。

 わたし(謫仙)は若いころに大きな疑問があった。
 長篠の戦いで、織田軍が馬止めの柵を作り鉄砲を構えているとこに、武田軍が騎馬で突進するのが不思議で仕方がなかった。柵の前で立ち往生してしまう。そこを鉄砲で撃たれる。
 柵は遠くから見える。それなのになぜ突撃するのか。たとえ馬が体当たりしても突破できるはずはない。
 こういう疑問をもったことのある人に本書を薦める。

 著者はこのような数々の疑問を持った。それで調べたら結局判らなかったという。その判らなかったこと、調べた上の新しい疑問などを書いている。

 長篠の戦いでも、武田軍も織田軍と同じように鉄砲を持っている。それどころか武田軍のことはある程度判るが、織田軍の鉄砲の実数は判っていない。武田軍より多いとはかぎらない。根拠のない俗説が主流になっている。
 白兵戦での疑問。死傷者は矢玉の被害者がほとんどで、刀で仕留められた例はほとんどない。源平の時代から主な武器は弓矢であり、それが鉄砲に変わったと言っても、戦の仕方はあまり変わっていない。それなのに、ほとんどの小説やドラマは刀を以てチャンバラをしている。鑓合わせをしている。それが常識となっている。そして刀を神聖視するのは昭和まで続いた。だが刀は武器としてはあまり役に立たない。甲冑武者には通じないのだ。
 武田は騎馬軍団と言うが、戦いのときは馬から下りたという。馬上では槍は使いにくい。
 こうしてある程度判っていることから推察すると、今までの常識ではあり得ないことが多い。矛盾するのだ。
 隊というが、当時の軍はバラバラな集まりで、軍隊として統一した戦い方ができなかったらしい。
 そんなこんなの疑問だらけの戦国合戦の様子を、未解決なテーマを取り上げている。
posted by たくせん(謫仙) at 08:20| Comment(6) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは、ご無沙汰しております。
 いきなり内容の話ですが、確かに弓が戦争の主流武器である可能性は高いですよね。強弩が日本にあまりないのは戦闘が大陸のようにだだっぴろいところでの決戦ではなかったからでしょうが、短弓は十分に脅威だったでしょうね。
 ただ、弓が日本の中世でメインでなくなったのは消耗品だったからというのと、例の日本独特の「やぁやぁ我こそは」というような文化的文脈のせいかも知れませんし、このあたりは謎です。
  
 で、それはさておき、刀がメインになっていく過程というのはこれは歴史的な流れではないでしょうか。
 昔は槍が強かった、最後には剣がメインになっていく。そういうものではないでしょうか。
 これまた中国の話になってしまうのですが、貴族しか馬に乗れなかったというのもありますが、それ以上に、騎兵と歩兵でいくと圧倒的に騎兵が強かったのは確かなようで、馬+槍というのが圧倒的な強さを誇っていたようです。数少ない兵力で何十倍という歩兵を倒す話がよくあります。古代ローマでも、いっときは密集隊形のファランクスが長い長い槍で一斉を風靡した時代もありましたが、これも歴史が進むと仕掛けによって破られていきます。
 その原因は、乱戦になった場合には、やはり長い得物では逆に隙が出来すぎる。また弓だと防御と攻撃が同時にしずらい。もっと即物的な話になると、しんどい、疲れるというのがあると思います。長い槍を振り回しての戦闘なんてできて一時間二時間そこそこでしょうからね。
 そうなってくると、振り回しやすくて、リーチもそこそこあって、なおかつ攻撃と防御に同時にできる刀や短槍がいいという話になってくるのではないでしょうか。その流れで、鎧武者の鎧の間から攻撃する武術や組み打ち術みたいなものも発展したような気がします。
 
 もっとも、謫仙さんがおっしゃるように歴史ものに関してはかなり矛盾があったり、どう考えても首をひねることが定説、通説になっていることもかなりありますよね。
Posted by 樽井 at 2010年10月30日 20:56
樽井さん
 まず、わたしの事前の知識として、「刀は戦争の武器としてほとんど役に立たなかった」という話があります。
 実際には接近戦になったとき必要なので、全く役に立たないというわけではないでしょう。刀は鞘なしで数本持っていったという話も聞いたことがあります。それでも戦国の時代は刀より槍でしょう。
 刀が重要視されたのは江戸時代、つまり鉄砲や槍など武器を持って動くのは大名行列くらい、という時代です。事実上刀しか武器のなかった時代に刀法が発達し、幕末の刀の時代になる。
 維新以後も刀は戦場にありますが、実際に使うと元から折れてしまう。柄の部分は鍛えられていないので衝撃に弱かった。ある刀鍛冶が、日本刀は武器としては決定的な弱点があると言っていました。(おそらく現代刀のことでしょう。古刀や新刀もそうなのかは、書いてありませんでした)

 そんなわけで、書かれた内容は頷けるものでした。
 もちろんメインの戦い以外では槍や刀も使われたことでしょう。組み討ちもあったでしょう。それでことが決することは非常少ないと思います。

 一番大切なことは、著者にも判っていないことが多い。
 わたしは疑問もあります。騎馬武者一人と数人の歩兵が組になっていましたが、そのため騎馬でも歩兵の速さで動く。それは戦闘の瞬間もそうなのか。輜重と戦闘員を一緒に考えていないか。でも従来の説でもそれは説明されているとは言いがたい。
 そんなこんなで、この鈴木説は歴史に対する有力な説と思っています。
Posted by 謫仙 at 2010年10月31日 08:54
戦国には全然興味がないのですが武田軍の話が出たので反応してしまいました。
僕の先祖は武田信玄に仕えていたそうで。

僕がテレビで聞いた話では(キングコングのあることないことだったかな?)戦国時代の死亡原因1位は弓で刀は
斬っていたのではなく叩いていたそうです。
斬るとなるとかなりスライドさせないと斬れないそうで。
余談ですが玉葱を切って涙が出るのは切っているのではなく潰しているそうです。
切ると汁が飛ばないので涙は出ないそうです。

Posted by ソラ at 2010年11月05日 00:05
ソラさん
武田軍の子孫でしたか。わたしの友人にもひとり武田の重臣の子孫がいますよ。今でもお墓は信州です。本人はあまりその話はしませんが、名前を聞けば誰でも知っている武将です。
刀は鎧を通さないので、実際は叩くことになりますね。武侠でも金棒が剣や刀と同じ働きをしているのも、そんな理由ですね。
玉葱は確かに潰すように切ります。潰さないように切るのか。
たこ焼き屋「老頑童」では玉葱も使うのかしら、わたしはたこ焼きの作り方を知らないので。
これからの寒い季節、外の仕事は大変でしょう。体に気を付けてください。
Posted by 謫仙 at 2010年11月05日 07:53
えっ!信州は武田と深い関係だったのですね。
どうりで親戚がみんな長野県なわけだ。

戦国は本当に無知なので。

たこ焼きは基本、たこ、天かす、ネギ、しょうがを入れます。
後は皆さん自己流ですね。
Posted by ソラ at 2010年11月08日 21:53
武田の本拠地は甲斐ですが、信玄のとき、信濃に進出しています。
信玄の子勝頼は、母は諏訪氏であり、諏訪勝頼をなのっていたときもあります。
期間は短かったかも知れませんが、武田の最盛期は信州も武田でした。
たこ焼きでも、それぞれ味に工夫しているンですね。
近くでたこ焼きを食べることができます。そのうち食べてみましょう。前に一度、上野不忍池弁天さまの参道で食べたことがあるきり。
Posted by 謫仙 at 2010年11月10日 08:05
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