2010年10月31日

その時歴史は動かなかった!?

鈴木眞哉   PHP新書   10.4
 じつにアヤシイ「日本史の転換点」

 わが書庫での 戦国15大合戦の真相 から始まった鈴木眞哉さんの歴史シリーズの最新作である。途中にわたしが読んでいない本もいろいろある。
 題名からも判るようにNHK番組「その時、歴史は動いた」の疑問点を連ねている。
 この番組以外にもある、歴史番組や教科書などで、知られている日本の歴史には、思いこみや俗説が多い。
 結果から後づけで説明したり、現代人の視点で推測したり。
 例えば「鎌倉幕府」。この名は江戸時代に付けられたという。当時も日本全体を取り締まるような力はなかった。とか。
 頼朝と義経を兄弟だと考えると誤解する。その時まで一度も会ったことはないし、兄弟の実感はなかったはず。
 頼朝が源氏の嫡流というのも後づけ、当時は反乱軍の一将軍に過ぎない。

 戦国時代なら、小牧の役がある。秀吉対家康の戦いで、家康が勝ったように伝わる。しかし、戦闘では家康が勝ったこともあるが、戦争としては秀吉の勝利だった。戦闘と戦争は分けて考えなければならない。
 信長・秀吉・家康には、偶然がいろいろ重なって、今の歴史になったのであって、決して計画されたものではなかった。
 関ヶ原や大阪の陣でも家康が勝ったのはかなり偶然性がある。
 同じように幕末の戊辰戦争でも、幕府軍が勝った可能性は大きい。
 
 こんな話を47項目にわたり、番組の間違いや疑問を連ねている。
 そして、総じていえることは、日本の戦争は基本的に遠戦である。つまり、武器は弓矢や礫、それが後に鉄砲も加わる。接近戦でも槍で、刀での斬り合いはなかった。
 明治の西郷隆盛の乱でも武器は鉄砲であり、西郷軍は弾が尽きたところで敗北となっている。「ラストサムライ」のようなことは現実にはなかった。
 それが後に白兵戦が中心であったように思いこんだ。それはなぜか。
 転機は日露戦争である。そのころまで、西洋諸国も白兵戦思想があって、その影響を受けた。そして西洋諸国は白兵戦思想が払拭されたが、日本は貧しくて近代装備を備えることができず、白兵戦主義を鼓吹せざるを得なかった。はじめは仕方なくだが、方便という自覚がなくなって本気にしてしまった。
 二〇三高地の戦い以後、それまでなかった白兵戦主義が、いきなり日本に入り、軍部はもとより一般国民まで巻き込んでしまった。

 判らないことを判っているように言うなかれ、という著者の声である。
posted by たくせん(謫仙) at 07:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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