一部「たくせんの中国世界−09年版 書剣恩仇録1」と重複します。
乾隆帝と福康安(乾隆帝の庶子)が碁を打っているところ。これを見ると中央志向。
福康安が得意になっている時に、乾隆帝は、「よく見なさい、お前はここに打ったが…」布石がどうだとか、このスミはお前が入ってくるのを虎視眈々と待っているとか、ひとスミばかりに留まってはいけないとか、兵はこの碁のようなものとか、将は全局を見渡せとか。碁にかこつけて将帥のあるべき立場を説教している。
福康安は「陛下(皇上)と呼ぶのはやめて師匠(師傅)と呼ぶことにします」と冗談をいう。このシーンは小説にはない。
ドラマで師傅(shi fu)という言葉は、原作小説では師父(shi fu)だ。発音は同じ(声調も同じで一声・軽声)。
師傅は、師匠とか技術者などを指す言葉。
師父は、意味は師傅と同じだが、武侠小説以外にも使うのかな。武侠小説での使い方は、師匠・親方・師匠の下にいる指導者といったところ。
乾隆帝が白、福康安が黒を持っている。この盤上の様子ではそんな講釈をたれるところまでは進んでいないように思える。ここは乾隆帝が黒を持つべき。それからいつもいうが当時はタスキに置いてからはじめた。
少ししてまた碁のシーンがあるが、それもかなり中央志向。盤面ははっきりしない。碁を打っているときに、緊急の連絡が入る。その時は碁の話はない。
前に紹介した02年版(趙文卓版)書剣恩仇録 占か碁か では、乾隆帝が碁の師と打つときは白を持ち、皇后と打つときは黒を持っていた。
わたしはどこかに、小説の書剣恩仇録には碁のシーンはないと書いたが、次のようなシーンがある。
文庫本第一巻P145〜146に、
板壁に大きな碁盤が彫ってある。三丈向こうのオンドルには二人が座っていた。碁石をつまみ、その直立した碁盤に投げつける。碁石は一つ一つね碁盤の目にぴしりとはめ込まれた。
中略
見れば黒が窮地に立った。白の一投で、盤面の黒石はすべて死ぬ。公子が一石を投じた。狙いがわずかにずれた。老人が呵々と笑う。
中略
(原著者注:中国古来の慣例では、碁を打つ場合、長上者が黒を持つ。日本もそうであり、近代にいたって変わった)
と金庸老師の注釈がある。
乾隆帝は、在位1735年〜1795年で、日本では江戸期の半ば。日本ではすでに長上者が白を持っていたし、初手から自由に打っていた。
杭州から北京に戻った乾隆帝が一人で並べている。
これは石を交点に置いたり枡目に置いたりでいい加減。打っているうちにずれたのであろうが、静かに置くように打っているのにこれだけずれるとは盤石はかなり安物(^。^)。乾隆帝ご愛用の盤石としてはお粗末すぎる。これで盤面が判るのか。
「白は皇太后、黒は紅花会、ただし打つ(下棋)のは朕ではない」と言っている。
下棋ならば占いではなく、碁といってよいだろう。乾隆帝は右側にいて、黒石の碁笥は左側にある。手の長いこと(^_^)。
ここは白番で、次の手は写真の形で、左から13上から十三のカカエ。盤面は碁の形としては不自然だが、それらしくなっている。碁を知らない人が並べたか。
終わり近くにも碁のシーンがあった。
紅花会の二人が打っている。盤面ははっきりしない。
白ばかりが目立つ。
これは目隠し碁ではじめたばかり、「縦十五 横十六」は向かって右下に打ったが、基準はどこだろう。
最後は乾隆帝が白をもって打っている。優勢らしい。
このときは自分を脅かす九王(于万亭)を始末し、心おきなく碁を打っている。