間もなく「さつき」になる。
さつき、梅雨時であり、田植えの季節である。
「さ」は稲のこと。早苗は稲の苗、さつきは稲の苗を植え替える時期、早乙女は田植えをする女。
五月闇(さつきやみ)は梅雨の夜。月も星も出なくて文字通りの闇。その合間に晴れることを五月晴(さつきばれ)。貴重な晴れ間である。
戦後の工業化によって農作業の感覚が薄れ、もちろん暦のせいでもあるが、さつき前の五月の晴れた日を「さつき晴れ」というようになった。混乱しているというより、「さつき晴れ」が梅雨から五月に変わってしまった。
本来の意味で使っているのは歳時記や和歌などだけではないか。普通の文に本来の意味で使っていると、場合によっては違和感が生じる。どちらかを誤用と言っていいかどうか。わたしは子どものころ、農家ではなかったが、農村に住んでいたので、田植えのことを「さつき」と言っていたのを知っている。だから今でもさつき晴れという文字を見ると梅雨時の晴れ間を思うことが多い。それでもテレビのアナウンサーや、知り合いが「さつきばれ」と言うと、5月を思う。
前に「さつきばれ」「ごがつばれ」と使い分けたらどうかという提案を読んだことがあるが、今でもその様子はない。
五月晴れ(さつきばれ)を「ごがつばれ」と読む人もいる。意味は通じる。使い分けでなく誤用から「ごがつばれ」が定着しそうだ。
そうなるとさつきが本来の意味を取り戻すかな。
2006年06月04日
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