2011年04月13日

棋士の勲章

江崎誠致の碁の本 V
江崎誠致   筑摩書房   1983.7
2002年4月に書いた文をほとんどそのまま転載する。

 これは「昭和の碁」の続編である。
     kisinokunshou.jpg

 戦国模様 激動の昭和五十二年
 石田の突然の凋落によって碁界は一変した。
 藤沢秀行・大竹英雄・竹宮正樹・加藤正夫・小林光一・趙治勲と、主なタイトルの持ち主が分かれた。この激動の時代を判りやすく説明している。

 世界選手権戦
 昭和54年に、第一回世界アマチュア囲碁選手権戦が開かれた。
 この当時の中国や欧米のアマ棋士の様子が詳しく書かれている。
 特にプロ制度のない中国のトップレベルはすでに一流の域に達していた。アマの試合では当然ながら勝つ。
 聶衛平・陳祖徳・孔祥明などである。
 孔祥明は女性でありながら八段に上っており、優勝した聶衛平は後にプロでも日本を凌駕した。
 著者はこのような世界を予想し、国境を越えた棋戦の必要性を説いている。

 本因坊剣正
 殺し屋といわれた加藤正夫の本因坊名である。これ以外にもいくつかのタイトルを持っていた。
  二十二歳五段の時、本因坊に挑戦している。この檜舞台に上がったときでも部屋住みであり、6畳の部屋に5人で寝ているという。
 しかし、この早熟の天才も各種の棋戦に8回の挑戦に負けつづけ、最初のタイトルを得るまで7年かかった。
 その後のトップ棋士としての活躍ぶりも記録している。

 棋士の勲章
 藤沢秀行を評した章である。
 この天才ぶりや数々のエピソードは、うまくいけば未曾有の大棋士になれるはずだった。
 その天才的活躍ぶりと、著者の思うところを綴っている。
 例えば酒の話、棋聖戦の前に酒を断つが、禁断症状で苦しむ様子が書かれている。そして同情はしない。
 わたしも同情しない。わたしには、酒と博打に身を持ち崩して、才能を浪費しているように思えるのだ。

 治勲賛歌
 趙治勲が最初にタイトルに挑戦したのは十八歳六段の時であった。それから現在まで常にトップクラスの棋士であり続けた。大三冠をはじめ数々のタイトルを手にし、すでに坂田栄男以来の記録の持ち主である。
 その若い時代の活躍ぶりや、碁以前の人間としての完成ぶりに驚く。
 この後、韓国の碁界が急成長をとげ、すでに日本を凌駕している。この趙治勲を超える天才もいるという。
 趙治勲は日本の棋院所属の棋士であるが、彼の活躍が韓国碁界に影響を与えなかったはずがない。
 これからも活躍は続くであろう。

11年4月追記
 この中に著者は趙治勲さんに加賀百万石の説明をするが、そのなかに、
 農民は自分が作った米は年貢におさめ、自分たちは屑米やひえ粟などを常食としていたこと。
 など著者の説明に多少の疑問点がある。書いた当時はこれか常識だったかな。江戸時代後期の年貢米は4公6民程度であり、半分以上は農民の手元に残り、それを食べていたといわれている。
posted by たくせん(謫仙) at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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