2011年05月01日

還珠姫の碁

 先に 還珠格格の碁 でドラマの碁の話を紹介したが、当然、原作小説(の翻訳版)「還珠姫」にも碁の話がある。

P200
まだ、囲碁が指せるか…」
 乾隆帝と紫薇は立て続けに四局囲碁を指した。
 と、台詞と地の文の両方で「碁を指す」といっている。碁は打つといい、指すとはいわない。
 他でも何回か「碁を指す」が出てくる。ところがP236には乾隆帝が「…また朕と碁を打とう」と、「碁を打つ」が一度だけ出てくるのだ。
 これは訳者が碁を知らずこう訳したのか。それとも原作が使い分けていたのか。
 現代中国語では碁を打つは「下囲棋」、将棋を指すは「下象棋」で、動詞は同じく「下(xia4)」である。他の言い方があるのだろうか。わたしの初級程度の語力ではお手上げ。

 その碁であるが、最初の一局は乾隆帝が勝ったが、わずか半目差の辛勝だった。
 一局目、半目(はんもく)。二局目、1目半(いちもくはん)。三局目、1目。わざと負けるなと言ってから四局目、夏紫薇の1目勝ち。
 ドラマでは、一局目が半子、二局目が一子半でそれ以外は不明。
 ここでは一子を1目で訳していることになる。現在ルールは一子が2目相当。
 さて、当時コミは無かったはず。だから半目はない。そのことから、“半目”の原文は半子で(コメント参照)、1目と訳すか半子のままでもよいとおもう。
   一局目 半子  1目
   二局目 1子半 3目
   三局目 1子  2目
 となる。
 金庸ドラマでは「半」はない。明末の「碧血剣」では、袁承志が木桑道人と碁を打つ話がある。そこではその前に、袁承志が夏青青に『可以贏他三個子』と言う科白(字幕)があって、日本語字幕は『…三目勝てた』となっていた。
hekiketuken-3-2.jpg

 乾隆帝の時代にこのような数え方をしたのだろうか。巷では独特なルールがあったかも知れない。ここでは皇帝と民間のお嬢さんが、何の取り決めもなく碁を打てるような、皇帝が承知している普遍的なルールの話をしている。
 小説は少し状況が異なり、このような述懐はなく、この頃別な形で打って、袁承志が5目負けている(日本語)。

 川端康成に「名人」という小説がある。わたしの持っているのは新潮文庫版だ。
 そのP130に、次のような文がある。
小野田六段が、
「五目でございますか」
「ええ五目……。」と、名人はつぶやいて、

とある。この部分を台湾の劉華亭訳では、「五目」と訳している。原文に合わせて五目にしたのか、当時の台湾では五目と数えたのか。
meijin1.jpg

 日本棋院「幽玄の間」では中国サーバーでもダメが空いている時に終局し、3.5目勝ちなどと出ている。中国サーバーでも日本ルールなのかな。それとも日本の「幽玄の間」加入者向けに翻訳しているか。
   …………………………………………
少し事情がわかってきたので、2015年2月8日 一部訂正しました。
詳しくは、中国の碁のルールの変遷 追記 を参照してください。
posted by たくせん(謫仙) at 07:37| Comment(5) | TrackBack(0) | 武侠の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
囲碁も将棋も双六などまで含めて「下棋」といい、打つ指すといった区別はしなかったようです。

当時のルールについてはわかりませんが、還珠姫の原文は以下のようになっています。
 結果,乾隆和紫薇一連下了四盤棋。
 第一盤,乾隆贏了,可是,只贏了半顆子。乾隆的棋力是相当好的,他簡直有些不信。第二盤,乾隆又贏了,贏了一子半。第三盤,乾隆再度贏了,贏了一子。

朕再来跟[イ尓]下棋!
Posted by 八雲慶次郎 at 2011年05月01日 13:02
八雲さん
原文ありがとうございます。
現代碁ばかりでなく、古い碁も「下」以外に見たことがありませんよね。
そうすると翻訳者が間違えたとしか、考えられない。
岡崎先生にお伺いしたとき、あのグループで、碁をよく知っている人はいないと言うような答えがありました。仕方ないのですが、そんなとき碁を知っている人に校正してもらえばといつも思います。
本題のほうは、半子と一子が両方ありますね。これは碁の理論上あり得ないことなんです。
だから作者が、知らなかった可能性が大きくなります。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年05月01日 18:09
趙之雲という方が書いた「中国囲棋勝負計算法及其演変」という文章がありました。
http://wenku.baidu.com/view/45ae9d1ea76e58fafab00353.html
http://html.hjsm.tom.com/html/new_book/19/121/6be4bdf25d4034456a840d343b99.html (ページの途中から。内容は上と同じです。)
参考になると良いのですが。

専門的なことはわかりませんが、計算方法は「唐宋填空法」というのが唐代以降に、「明清数子法」が明代から清代中期に使われ、清末民初に日本の影響をうけて「近代数子法」になったようです。
広い中国ですからご当地ルールも多いと思いますが、大きな流れでは上記のような変遷だったと思われます。
とすると天龍八部の時代と還珠格格の時代の数え方は違っていたと考えるのが無難のようです。
Posted by 八雲慶次郎 at 2011年05月02日 16:23
八雲さん
まだ読み終わったわけではありませんが、貴重な情報です。
ありがとうございます。
天龍八部の時代と還珠格格の時代は違う、では碧血剣はという疑問もありますが、大まかな流れが判りました。
「唐宋填空法」というのは、昔からありましたが、更に昔、孔子の時代はどうかと言えば、「数子法」だったと言われています。
奕と言われたころは「数子法」。それから「唐宋填空法」。それから「明清数子法」。そして現在の「数子法」。

「数子法」を俗に中国ルール
「填空法」を俗に日本ルール
と言っていますが、
わたしの認識では、180.5プラスマイナスαで数えるのは、現在の「数子法」だと思っていました。ところが「明清数子法」ですでに採用していたという。
そうなると還珠格格に半が出てくるのは正しい。一子も珍しい例だがないわけではない。

つづきを読んでから、あらためて結果を書きます。時間がかかりそうです(^_^)。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年05月03日 07:43
まとめました。

中国の碁のルールの変遷−http://takusen2.seesaa.net/article/199633254.html
をご覧下さい。

結論は半子があり、それは一目でした。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年05月07日 08:11
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック