2015年02月16日

中国の碁のルールの変遷

2011.5.7 記
「還珠姫の碁」の続きですが、内容は独立しています。

 わたしには、疑問が二つあった。
問題1 「180.5プラスマイナスα」のαを勝負の数とするルールはいつできたのか。
問題2 「石の多い方が勝ち」から「石+地の多い方が勝ち」になったのはいつか。

 結論
問題1 は元から明にかけて、明清数子法による。ただし、生きるための二眼は空点として折半した。還棋頭(切り賃)で調整。
問題2 近代数子法。清末〜民国のころ、生きるための二眼も子として計算するようになった。
 ただしこれらが一般化していたわけではない。

 これで先の還珠格格の碁や還珠姫の碁を考えた。コミはない。

一局目 半子  1目(翻訳は半目)
二局目 一子半 3目(翻訳は1目半)
三局目 一子  2目(翻訳は1目)
四局目 一子  2目(翻訳は1目)
 ということになる。翻訳が間違っていたと言えるのかな。しかし、これを誤訳と言うのは気が引ける。「アルプス一万尺」を「アルプス三千メートル」とはいえないように、一寸法師を三センチ法師とはいえないように、半子を1目にするには抵抗がある。半目とせず半子のままでよかったと思う。
 逆に金庸ドラマで「半」がなく、三子を3目としたのは、江湖(在野)の話なので、別なルールと考えたい(これの方が正当かも知れない)。おそらく各種のルールがあったと思われる。例えば三子と言っているが、それは三目に相当したとか。故に誤訳とは言いきれない気がするのだ。玄宗皇帝の時代の碁でも◯子と出てくる。単位は正しくは路でも子と表現したのか。中国でもこのあたりの表記はあまり正確ではないのかな。このような時代考証はあまりしていないのだろうか。
   …………………………

 還珠姫の碁で疑問を投げかけたところ、次のサイトを探してくれた方がいた。
 囲棋天地−「中国囲棋勝負計算法及其演変(趙之雲)」 に詳しく書かれている。一九九三年記述。 (2015年現在このコンテンツは削除されている)

 わたしが憶えていた碁の計算方法の歴史は、
一、古くは奕(エキ)と言われ、これは古い中国ルール。(子か)
二、後にいわゆる日本ルールに換わり、それが日本にもたらされた。(地−ハマ)
三、中国では古い中国ルールに戻った。(明代始めころ)(子)
四、日本の影響を受けて現代の新しい中国ルールとなった。(清末から民国)
五、近年、日本ルールとほとんど同じくらいに改編された。
 この中で、180.5を基準とするのは、清末と思って今まで書いていたのだが、三の明代にはもうあったという。石+地を数えるようになったのは、近年と思っていたが清末だという。
 戦後の棋士(高川格)の文に、中国ルールに言及していて、「切り賃」が出てきた。それで切り賃がなくなったのは近年だと思っていたのだった。おそらく清末に完全に切り替わったのではなく、実際には戦後まで、切り賃のあるルールが主流だったのではないか。
 満州・華北・江南・四川・広州・台湾・海外華僑、かなりの時間差があると思われる。

 以下の文の赤字は「中国囲棋勝負計算法及其演変」のつまみ食い的な抜粋である。古い時代の「奕」についての記述はほとんどない。なお、著者は棋士にして作家。忙しいため、改訂の時間がないという。改訂したいところがあるのかも知れない。

序文
 一般に計算方法は二種類あることが知られている。
 填空法と数子法である。数子法は中国で用いられ、填空法は日本及びその影響を受けた欧米諸国で用いられている。古今の計算法は4種。
 一、唐宋填空法  二、日本填空法  三、明清数子法  四、近代数子法

唐宋填空法
 唐代あるいはそれ以前に我国
(中国)で用いられた。日本などで用いられる填空法とは区別する。(記録から推理して)填空法は“以空為地”だが、その地域観は今とは完全に一致するわけではない。
 アゲハマで相手の地を埋める。地の差を計算する。これは日本填空法と同じ。助数詞は路、日本では目。
(一路一目)
 日本填空法とはっきり違うのは、セキの場合、埋めずに済む欠け目は地と数える。隅四の処理。
 珍型(長生や多数劫など)は日本と同じ。

明清数子法
 填空法に代わり数子法を取り入れたのは一大進歩である。しかし、近代数子法との差は少なくない。唐宋填空法から変わったのは元か明のころ、はっきりしない。元に「子」の記録がある。数子法の始まりを示すかも知れない。その後長期間、填空法と数子法が共存したらしい。
 数子法は“子多為勝”、双方の子(石)の多少で勝敗を決する。

終局手続きは、
 ダメを打ち終わって終局、死石を取る。空に石を入れる。
 唐宋填空法で数えない空は折半して数える。
(セキのダメを言っているのかな)
 生き石には二眼が必要。それは空になるので折半する。だから一子相手に与える。“還棋頭”という。「切り賃」のことであろう。近年日本の影響を受けたこともあり、現在ルールではなくなった。
注: 別な中国のサイトで、「日本は二目の還棋頭がある。碁の本質をわかっていない」と書いてあるのを見た。ウップ。
 一方の全子数を180子半と比較。そして勝負の数を出す。
注: 問題はその数え方だが、基準との差つまり181−180.5=0.5(子)としたのか、白と黒の差つまり181−180=1(目、ただし表記は子)としたのか。肝心の所が読み取れない。(180子半と比較と書いてあるので基準との差と考えるべきか)
 他のサイトで181−180=1、とあった。ただし、日本の碁の説明に間違いがあり、そのため、その他の記述も全面的に信用することはできなかった。こんな計算法もあったのだろう。
 元明のころ民間では賭け碁が盛んになる。ハマを巡って問題が起きやすい。そのためはっきりしたルールを求めた。その結果数子法ができたのではないか。“廟堂君子”は填空法で打っていても、“市井小民”は数子法で打っていた。
 明清数子法は唐宋填空法の改正とはいえ、“子空皆地”と“以空為地”は根本から違う。

注: 明清数子法は“子多為勝”のはずだが、“子空皆地”とも書いてある。“子空皆地”なら切り賃はいらない。

1 唐宋填空法は自分の地中に打てば地は減る。明清数子法は減らない。
2 唐宋填空法は持碁が出やすい。明清数子法はセキができないと持碁にはならない。
3 数子法となり、ダメも手入れ。填空法では手入れしなかった。


 近代数子法は清末民国初のころ。このころ日本の影響を受けてルールは混乱している。
“子空皆地”つまり“石”と“地”の両方を数える、となった。近年更に改良され、日本填空法との差は小さくなった。

中国の碁のルールの変遷 追記 に続く。
   …………………………
 調べていて判った中国語の囲碁用語です。
ヨセ   官子
ダメ   単官
置き碁  譲子棋
9子局  譲九子
アタリ  叫吃
セキ   公活
コミ   貼目
欠け目  做眼
ダメ詰め 緊気
手入れ  収気
ポンヌキ 提子開花
生き   活棋
一局   一盤
posted by たくせん(謫仙) at 07:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
近代中国ルールできたのは戦後。
それまでは日本ルールが基本、石を数えても、最後のダメで調整している。基本的にはトラブル回避だけが目的。
>逆に金庸ドラマで「半」がなく、三子を3目としたのは、江湖(在野)の話なので、別なルールと考えたい
これは勘違い
つまり、石を数えても、日本とおなじように「なん目勝ち」としているのです、それが自然でなにも問題ありません。
 これほんと。
Posted by 囲碁ルールマニア at 2016年12月12日 14:07
囲碁ルールマニアさん
近代ルールができたのは戦後なのは知ってしましたが、それ以前の中国ルールの説明で、切り賃が出てきます。単位は子です。
これで、いわゆる中国ルールで計算していたことが判ります。
追記に書いたように、王銘琬九段が、言っていました。

 >戦前の台湾では填空法(日本ルール)と数子法(中国ルール)が同時に行われていた。
 しかも、台湾でのルールは「数子法」でも、最後に黒が打つと黒から一目引き、結果は日本ルールと同じになったという。

 これはご当地ルールではなく一般的であったと言います。
元明の時代、
>“廟堂君子”は填空法で打っていても、“市井小民”は数子法で打っていた。
と両方のルールで行われていたことが判ります。
だから金庸ドラマと、還珠格格では別なルールでも不自然ではないと思います。
問題はその数字が判りませんでした。

還珠姫の原文では
    一局目 半顆子
    二局目 一子半
    三局目 一子
となっていて、単位は子でした。コミのなかった時代に半目とは考えられず、
1目、3目、2目と考えたわけです。
 その他を考えても、1子=2目は戦前にもあったことが判ります。
Posted by 謫仙 at 2016年12月13日 08:22
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