「還珠姫の碁」の続きですが、内容は独立しています。
わたしには、疑問が二つあった。
問題1 「180.5プラスマイナスα」のαを勝負の数とするルールはいつできたのか。
問題2 「石の多い方が勝ち」から「石+地の多い方が勝ち」になったのはいつか。
結論
問題1 は元から明にかけて、明清数子法による。ただし、生きるための二眼は空点として折半した。還棋頭(切り賃)で調整。
問題2 近代数子法。清末〜民国のころ、生きるための二眼も子として計算するようになった。
ただしこれらが一般化していたわけではない。
これで先の還珠格格の碁や還珠姫の碁を考えた。コミはない。
一局目 半子 1目(翻訳は半目)
二局目 一子半 3目(翻訳は1目半)
三局目 一子 2目(翻訳は1目)
四局目 一子 2目(翻訳は1目)
ということになる。翻訳が間違っていたと言えるのかな。しかし、これを誤訳と言うのは気が引ける。「アルプス一万尺」を「アルプス三千メートル」とはいえないように、一寸法師を三センチ法師とはいえないように、半子を1目にするには抵抗がある。半目とせず半子のままでよかったと思う。
逆に金庸ドラマで「半」がなく、三子を3目としたのは、江湖(在野)の話なので、別なルールと考えたい(これの方が正当かも知れない)。おそらく各種のルールがあったと思われる。例えば三子と言っているが、それは三目に相当したとか。故に誤訳とは言いきれない気がするのだ。玄宗皇帝の時代の碁でも◯子と出てくる。単位は正しくは路でも子と表現したのか。中国でもこのあたりの表記はあまり正確ではないのかな。このような時代考証はあまりしていないのだろうか。
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還珠姫の碁で疑問を投げかけたところ、次のサイトを探してくれた方がいた。
囲棋天地−「中国囲棋勝負計算法及其演変(趙之雲)」 に詳しく書かれている。一九九三年記述。 (2015年現在このコンテンツは削除されている)
わたしが憶えていた碁の計算方法の歴史は、
一、古くは奕(エキ)と言われ、これは古い中国ルール。(子か)
二、後にいわゆる日本ルールに換わり、それが日本にもたらされた。(地−ハマ)
三、中国では古い中国ルールに戻った。(明代始めころ)(子)
四、日本の影響を受けて現代の新しい中国ルールとなった。(清末から民国)
五、近年、日本ルールとほとんど同じくらいに改編された。
この中で、180.5を基準とするのは、清末と思って今まで書いていたのだが、三の明代にはもうあったという。石+地を数えるようになったのは、近年と思っていたが清末だという。
戦後の棋士(高川格)の文に、中国ルールに言及していて、「切り賃」が出てきた。それで切り賃がなくなったのは近年だと思っていたのだった。おそらく清末に完全に切り替わったのではなく、実際には戦後まで、切り賃のあるルールが主流だったのではないか。
満州・華北・江南・四川・広州・台湾・海外華僑、かなりの時間差があると思われる。
以下の文の赤字は「中国囲棋勝負計算法及其演変」のつまみ食い的な抜粋である。古い時代の「奕」についての記述はほとんどない。なお、著者は棋士にして作家。忙しいため、改訂の時間がないという。改訂したいところがあるのかも知れない。
序文
一般に計算方法は二種類あることが知られている。
填空法と数子法である。数子法は中国で用いられ、填空法は日本及びその影響を受けた欧米諸国で用いられている。古今の計算法は4種。
一、唐宋填空法 二、日本填空法 三、明清数子法 四、近代数子法
唐宋填空法
唐代あるいはそれ以前に我国(中国)で用いられた。日本などで用いられる填空法とは区別する。(記録から推理して)填空法は“以空為地”だが、その地域観は今とは完全に一致するわけではない。
アゲハマで相手の地を埋める。地の差を計算する。これは日本填空法と同じ。助数詞は路、日本では目。(一路一目)
日本填空法とはっきり違うのは、セキの場合、埋めずに済む欠け目は地と数える。隅四の処理。
珍型(長生や多数劫など)は日本と同じ。
明清数子法
填空法に代わり数子法を取り入れたのは一大進歩である。しかし、近代数子法との差は少なくない。唐宋填空法から変わったのは元か明のころ、はっきりしない。元に「子」の記録がある。数子法の始まりを示すかも知れない。その後長期間、填空法と数子法が共存したらしい。
数子法は“子多為勝”、双方の子(石)の多少で勝敗を決する。
終局手続きは、
ダメを打ち終わって終局、死石を取る。空に石を入れる。
唐宋填空法で数えない空は折半して数える。(セキのダメを言っているのかな)
生き石には二眼が必要。それは空になるので折半する。だから一子相手に与える。“還棋頭”という。「切り賃」のことであろう。近年日本の影響を受けたこともあり、現在ルールではなくなった。
注: 別な中国のサイトで、「日本は二目の還棋頭がある。碁の本質をわかっていない」と書いてあるのを見た。ウップ。
一方の全子数を180子半と比較。そして勝負の数を出す。
注: 問題はその数え方だが、基準との差つまり181−180.5=0.5(子)としたのか、白と黒の差つまり181−180=1(目、ただし表記は子)としたのか。肝心の所が読み取れない。(180子半と比較と書いてあるので基準との差と考えるべきか)
他のサイトで181−180=1、とあった。ただし、日本の碁の説明に間違いがあり、そのため、その他の記述も全面的に信用することはできなかった。こんな計算法もあったのだろう。
元明のころ民間では賭け碁が盛んになる。ハマを巡って問題が起きやすい。そのためはっきりしたルールを求めた。その結果数子法ができたのではないか。“廟堂君子”は填空法で打っていても、“市井小民”は数子法で打っていた。
明清数子法は唐宋填空法の改正とはいえ、“子空皆地”と“以空為地”は根本から違う。
注: 明清数子法は“子多為勝”のはずだが、“子空皆地”とも書いてある。“子空皆地”なら切り賃はいらない。
1 唐宋填空法は自分の地中に打てば地は減る。明清数子法は減らない。
2 唐宋填空法は持碁が出やすい。明清数子法はセキができないと持碁にはならない。
3 数子法となり、ダメも手入れ。填空法では手入れしなかった。
近代数子法は清末民国初のころ。このころ日本の影響を受けてルールは混乱している。
“子空皆地”つまり“石”と“地”の両方を数える、となった。近年更に改良され、日本填空法との差は小さくなった。
中国の碁のルールの変遷 追記 に続く。
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調べていて判った中国語の囲碁用語です。
ヨセ 官子
ダメ 単官
置き碁 譲子棋
9子局 譲九子
アタリ 叫吃
セキ 公活
コミ 貼目
欠け目 做眼
ダメ詰め 緊気
手入れ 収気
ポンヌキ 提子開花
生き 活棋
一局 一盤
それまでは日本ルールが基本、石を数えても、最後のダメで調整している。基本的にはトラブル回避だけが目的。
>逆に金庸ドラマで「半」がなく、三子を3目としたのは、江湖(在野)の話なので、別なルールと考えたい
これは勘違い
つまり、石を数えても、日本とおなじように「なん目勝ち」としているのです、それが自然でなにも問題ありません。
これほんと。
近代ルールができたのは戦後なのは知ってしましたが、それ以前の中国ルールの説明で、切り賃が出てきます。単位は子です。
これで、いわゆる中国ルールで計算していたことが判ります。
追記に書いたように、王銘琬九段が、言っていました。
>戦前の台湾では填空法(日本ルール)と数子法(中国ルール)が同時に行われていた。
しかも、台湾でのルールは「数子法」でも、最後に黒が打つと黒から一目引き、結果は日本ルールと同じになったという。
これはご当地ルールではなく一般的であったと言います。
元明の時代、
>“廟堂君子”は填空法で打っていても、“市井小民”は数子法で打っていた。
と両方のルールで行われていたことが判ります。
だから金庸ドラマと、還珠格格では別なルールでも不自然ではないと思います。
問題はその数字が判りませんでした。
還珠姫の原文では
一局目 半顆子
二局目 一子半
三局目 一子
となっていて、単位は子でした。コミのなかった時代に半目とは考えられず、
1目、3目、2目と考えたわけです。
その他を考えても、1子=2目は戦前にもあったことが判ります。