鰥寡孤独という言葉がある。身よりのないひとの意味である。もっとも使われた例を知らないので、使い方が判らない。
鰥 妻のいない男
寡 夫のいない女
孤 親のいない子供
独 子のいない老人
これを知れば、孤児という言葉の意味が納得でき、寡婦の字が理解できる。
税法に寡婦控除という項目がある。この説明は省くが、近年「寡夫控除」なる項目ができた。この報道に接したとき思わず吹き出してしまった。「夫のいない男の控除」である。
わたしがこの漢語を知ったのは偶然であった。この項を書くにあたり辞書を引いてみると(広辞苑第2版)寡夫という文字があった。つまり、日本語では寡夫という漢語は間違いとは言いきれないのだ。それゆえ立法者は、寡夫控除という言葉を作り出したのであろう。こうして新しい言葉が生まれてくる。
しかし、いつも思うが、もっと判りやすい言葉がないものだろうか。数年前「輸贏(しゅえい)」という言葉を法律から無くそうという話があった。もうなくなったと思うが、このような難しい言葉を使うことを教養とはいわない。
中国の言葉の遊びにこんなのがある。勝負事を終えた男に訊いた。
「どうでしたか」
「孔家の引っ越しだよ」
その心は、書ばかり。
孔子の家の引っ越し荷物は書物ばっかりであろう、という。輸贏の輸(shu)と書(shu)は同じ発音である故のしゃれである。さて、輸(shu)ばかりとは、勝ったのか負けたのか。
(ここではいずれも一生独身の意で、つまり一度は結婚しなさいよということです)親に先立たれる子供、子供のいない老人が四大不幸という教えです。
その使い方ですと、漢字の本来の意味が、そのままで使われているんですね。
昔の中国の道徳律を表現しているようです。今ではそうともいえませんね。
「親孝行したくもないのに親がいる」なんて言葉がありましたが、現代では何が幸で何が不幸か、少なくとも日本では違うようです。(^_^)。
熟さずにそのまま使ってよい、と言うことでしょうか。
四大不幸、この世の営みはすべてこの不幸をなくすために行われているようです。