「ぞっとしない」
わたしが初めてこの言葉に接したのは江崎誠致の「賭碁放浪記」であった。
その時は、誤植又は書き間違いであろうと思った。2度目は栗本薫の小学生向けの小説「花の騎士るか」だったか。そして、そのような言葉が存在することを知ったのだが、意味は「ゾッとする」、ただし使い方は少し違うが、と思っていた。
ところが、教えてくれる方がいた。
「ぞっとしない」というのは「ぞっとする」とは別の言葉で、「感心しない。うれしくない」という意味です。「あまりぞっとしない話だ」などという風に使います。
あわてて広辞苑第三版を引くと、次のようであった。
ぞっと
身の毛がよだつさま。寒さが身にしみるさま。心底までしみとおるような感じをいう。
―しない それほど感心したり面白いと思ったりするほどでもない。
ぞっとしないは「ぞっと」の否定形だったが、意味は違う。まるで別な言葉のようだ。(念のため付け加えると、広辞苑といえども正しいとは限らない)
同じ言葉でも意味が違うことは他にもある。「しだら」という言葉がある。これを逆に「だらし」と戯れたことがある。江戸の昔の話だ。なんとブームのあと定着してしまったが、それの否定形が、
不しだら
だらしない
である。ご存知のごとく、意味は似ているが使い方が異なる。そんなこともあるので、わたしは「ぞっとしない」を、意味は「ぞっとする」。ただし使い方は、「感心しない」というときに使うと、考えていたのだ。
インターネットで検索してみたら、次のような解釈があった。
「ぞっと」は、よいことにも悪いことにも強く感じたこと。ただし「ぞっとする」は悪い感じのときに使われ、「ぞっとしない」はいい感じの否定のときに使われる。だから
「ぞっとする」 は、悪い感じがする。
「ぞっとしない」は、いい感じがしない。
というように使うが、「ぞっと」には良い悪いはない。
なるほど、これは判りやすい。だが、その根拠の大辞林 第二版には、孫引きだが、
ぞっと
(1)寒さや恐ろしさのために、全身の毛が逆立つように感じるさま。「外へ出たとたん―した」「思い出しても―する体験」
(2)強い感動が身体の中を通り抜けるさまを表す語。「―するほどの美人」
ええっ?
「ぞっとするほどの美人」とは、「その美しさに、恐ろしさを感じるほどの美人」ではなかったのか?? 新しい疑問が湧いてきた。
こんな場合、辞書に頼り切ってはいけない。誤用されている場合でも、現在使われている意味を付け加えることがあるからだ。かといって本来の意味に拘ってはいけない。
「お言葉ですが…」に言葉の意味の間違いを指摘しているが、その根拠に春秋時代の例をあげることがある(観兵など)。春秋時代には本来の意味であったとしても、現代の日本語では意味が変わってしまっていることが当然あるのだ。
「ぞっとしない」は、そういう言葉があったのか、誤用が一般化しているのか。
なお、会社で何人かに聞いたが、誰も「ぞっとしない」という言葉を知らなかった。わたしも小説以外では聞いた(読んだ)ことはない。