2011年06月10日

タイムスリップ森鷗外

鯨 統一郎   講談社   2002.3

 まえにタイムスリップ忠臣蔵を紹介したが、この本はそれより大分前に書かれている。しかも一連のタイムスリップものは連作らしい。
 森鷗外が現代の渋谷に登場し、現代っ娘と一緒に自分がタイムスリップした理由を解決し、元の世界に戻る。
 森鷗外が簡単に現代社会に融け込んでしまうのは、やり過ぎと思うが、けっこう緻密なところもある。中身もかなり調べ上げてあるようで、読んでいて違和感がない。
 最後のオチなど、「あっ、こっちに来たのか」とびっくり。私の知っている従来のタイムマシンものとはひと味違うオチだった。

   …………………………
続いてタイムスリップ戦国時代 2008.11
 これはギャグマンガの世界。しかも整合性がない。
 例えば、はじめに韮崎の北条早雲が小田原を攻める話がある。小田原城で籠城されたら攻めるのは無理だ。そのために間にある芦ノ湖で鷹狩りをやり、小田原軍をおびき出す。出てきたところを、韮崎から馬で駆けつけ、野戦に持ち込む計画。ところがその前の日に馬が殺されてしまう。そこで徹夜で自転車を作り、それに乗って芦ノ湖に駆けつけ、小田原軍を討つ。
 自転車のアイディアはかまわない。後にトラックまで出てくるのもそれ自体は許容範囲。だが、知らない自転車をいきなり作らされ、一晩で作れるものなのか。そもそも自転車は練習なしで乗れるものではない。これは仮に三輪車としても、それから芦ノ湖まで標高差八百メートルほどの山登りを、重い甲冑を着て、しかも室町時代の荒れた道を自転車で簡単に行けるものなのか。
 後に秀吉がインターネットに夢中になる。しかしそれができるには、当然あるべき技術環境がない。トラックの存在についても同じ問題がある。
 こうして世界に整合性がないので、読んでいて、どうして…ばかりになる。

   …………………………
 整合性の問題は、実は武侠ドラマでも生じる。よく空を飛ぶ人が出てくる。わたしはそれは問題にしない。金庸の原作では、塀を跳び越えるのがやっとだ。だが、ドラマでは、百メートルくらい簡単に飛んでしまう。倚天屠龍記では小さな山を飛び越えてしまうのも出てきた。
 で、それが大事な場面で、ここは飛べばと思うのに、飛ぶことができない。そのときは、原作に沿ってしまうのだ。ここでは飛べないことに整合性がないと思ってしまう。そんな時は、無理やりに「力が尽きていた」と考えるしかない。
posted by たくせん(謫仙) at 08:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。
 タイムスリップ 森鴎外 読まれたのですね。
 僕は、タイムスリップシリーズはこれが最初だったんで、他のもこのレベルできっちりやってくるのかなぁと思っていたのですが、、、シリーズが続くにつれてついていけなくなっちゃいました。森鴎外のそれは、ところどころ文明批判なところもあったり、ミステリとしても成立していたりと、よく出来た話だったと思います。
 
Posted by 樽井 at 2011年06月13日 23:27
樽井さん。
森鴎外は読めました。それなりにおもしろがったンです。
戦国時代は、とてもついていけませんでした。整合性の問題は譲れません。
鏡明の「不確定世界の探偵物語」でしたかしら、整合性が崩れる世界の話。整合性が崩れるのはそれほどの意味のあることなんですよね。

これで思ったのですが、森鴎外は明治の知性。明治時代は不思議な時代で、時代は明るいとはいえないのに、飛び抜けた人が大勢いた時代。鴎外もその一人でしょうね。
おそらく現代もそれ以上にいるのでしょうが、一般のレベルが高いので目立たないだけでしょうか。わたしには判断できません。
勝海舟あたりが、いま欲しい人物ですねえ。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年06月14日 21:15
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/208919333
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック