小前 亮 講談社 2009.7.15
わたしが知らなかった若い歴史作家の登場である。
05年「李世民」でデビューとあるので、もう6年もたつことになる。06年に本書が出され、その文庫版であった。
わたしにとっては宮城谷昌光・田中芳樹に続く本格的な三人目の中国歴史作家といえよう。
もちろん、他にもいる。仁木英之・陳舜臣・安能務・沢周一郎・塚本青史なども本格的だ。
酒見賢一・井上靖・北方謙三はのめり込めないところがある。
金庸・藤水名子・井上祐美子は本格的とはいえない。
浅田次郎は近代。
それらの小説にない輝きが、「趙匡胤」には感じられるのだ。題材が趙匡胤であるせいかもしれない。
日本の歴史ではあまり触れることのない宋だが、中国の歴史の中で際立つ特徴のある時代であった。今に至るまで言論の自由があった唯一の時代ともいえるのだ。太祖趙匡胤の遺訓による(中華民国は動乱の時代なので判断がつかない。いまの台湾省は自由だが)。
対外的にも戦争を回避した。平和をも購ったのだ。また官に高給を与えたことでも有名である。
そして際立つのが後周柴氏の扱いである。皇位は柴氏から禅譲された。ふつうこのような場合は、おりを見て前朝の一族を除いてしまうのだが、宋は柴氏を厚遇した。宋が滅び、再興して南宋となっても、柴氏の扱いは変わらず、南宋が滅びるまで柴家は続いた。
そんなこんなで、国家財政が破綻して、国は滅んでいく。
その宋を起こしたのが趙匡胤である。
唐が滅んで、五代と言われた時代があった。脆弱な王朝が次々に起こっては滅んだ。趙匡胤(927−976)は、後漢(946−950)の将軍趙弘殷の嫡子(次男)である。青年時代に無実の罪で牢にいたが脱出し、鄭恩と義兄弟の契りを結び二人して旅に出る。戻っては柴栄の下で活躍し、柴栄の義父郭威と共に後周(951−960)を起こす。しかし、郭威・柴栄が若くして亡くなり柴栄の子が三代目になると、趙匡胤は禅譲を受け皇帝になる。
弟の趙光義は兄の目から見ても優れた人物であった。そして宋は太祖が亡くなると、弟の趙光義が二代目を継ぎ、宋は万全の体制を作ることができたのである。
その波瀾万丈(このような定型は使うべきではないが)の生涯の物語である。
趙匡胤が26歳の息子を皇太子にするのを躊躇する話がある。
貧しさに堪えかねた男が盗みを働いたとする。趙匡胤であれば男を罰した上で、その家族にこっそり援助を与えるくらいはするだろう。趙光義なら、男を罰したあと、なぜ貧しくなったかを考えて、必要な処置をとる。だが趙徳昭は、かわいそうにと、男を許して終わってしまいそうだ。それでは国は治められない。
この例えがいいではないか。宋は民も富んだ国である。
小前さんの小説、自分も昔一冊だけ読みました。「王道の樹」というものでした。そのときはちょっと薄いかなぁという気が致しましたが、「李世民」他いくつかの作品を定期的に出しておられるようですので、また読んでみたいと思います。
わたしははじめて知った作家、この本以外の話はできないんですが、かなり研究していて、中国世界でも一目置かれる知識の持ち主ではないと思います。
他の作品も読むつもりでいます。
どこまで文庫に落ちているかなあ。(^。^))。