網野善彦、新しい歴史を見る目をもつ人物と言われて、数年前に名前だけ知った。図書館を検索していたら238冊もある。共著があり、重複があると思うが、それにしてもたいした数だ。その中で目に入った一冊を借りることにした。
若い人かと思ったら、1928年生まれで、2004年に亡くなっている。このような人を数年前まで知らなかったのは、わたしの不徳の致すところ。
本文は1999年における二人の対談である。
内容はなるほどと頷けるようなことばかり。たとえば縄文時代といえば、小さな部落共同体社会と思いきや、けっこうあちこちと交易しており、専門家集団がいて、町ができている。町とは交易の場所、商業活動の行われるところである。
従来は農業重視で、農業のできないのは遅れていると考えていたが、漁業の部落、栗などの植栽の部落、織物の部落、道具加工の専門家の部落とかあり、交易で生活できた。
貝塚など、ゴミ捨て場ではなく、貝の加工業者の仕事場であろうと推理したり。アイヌ民族も昔は日本海を手広く交易していたり。
近くは封建社会でもあちこちに領土の飛び地があるが、それはルートができていて、合理的に支配していたとか。例えばあちこちの港を抑えていたが今では知られていない有力な領主の話など、へえーと驚いてしまう。農業ではないので石高は少ない有力者だ。
網野善彦は歴史学者、森浩一は考古学者。二人が遺跡や文献を元に人々の交易の実際を考察し、日本文化や日本社会を見直す。
知能は現代人と変わらないそうですね。
一ヶ月訓練すれば、パソコンも、携帯電話も使えるそうです。
怠けていると縄文人に負けそうです。
縄文中期の人口は26万人くらいは聞きましたが、平均寿命は25歳とか、
こちらの、縄文ミュージアムというところの学芸員の博士の方の話は、
それまでの理解とまったく違っていました。
意外と、歴史については、勝手な思い込みが多いのかも知れませんね。
知能的には現代人と同じでしょうね。
ただ過去の知識の積み重ねがないだけでしょう。
平均寿命は、若くして死ぬ人が多かったので、そうなるのかな。当然活躍している人は長く生きていて、平均すればということですよね。
とにかく、こうして見直すようになったのが、網野氏の研究によるところが大きいと聞きました。
「縄文ミュージアム」機会があれば行ってみたい。
いいことも悪いことも、たくさんの記録が残っているし、精神性も本来なら高まっていなくてはならないんですけれどねぇ。。。
知識は蓄積できますが、過去に学ぶような知性は簡単に蓄積できるものではなく、社会や本人の努力が必要ですよね。
日本の歴史も行ったり戻ったりを繰り返していますが、それでも平均すれば進んでいると思います。落ち込むことがあってもまだまだ捨てたものではない。
そうはいっても負の遺産も大きく、自戒もこめて嘆息することはわたしも感ずるところ。昨日は友人とそんな話をしてしまいました。