2006年08月21日

夏子の酒

               著  尾瀬あきら
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 この物語の初出は1988年である。わたしが酒を飲み出したのはその数年後であった。そのころ酒に関する法律が変わり、美味しい酒が造れるようになった。もちろん美味しい酒を造ってはいけないなどという法律があったわけではない。当時の二級一級特級という区別は酒の品質ではなく、アルコールの含有率などで決まっていた。それにつれて税金も高くなる。いまでいう美味しい酒が税金のため二級酒として売られ、一般の人は判らなかった。わたしも知らなかったし、酒は不味いと思っていたのだ。
 ところがこのころから美味しい酒が出始めた。わたしはいまの住所に引っ越してきて、ある酒屋を知った。全国の地酒を扱っていて、それを冷蔵庫に入れてある。ワインよりも温度に敏感といわれる酒を、普通の店は常温の所に置き、ワインは冷蔵庫に入れて販売している。その店では地酒も冷蔵庫に入れている。わたしは店の親父さんと相談しながら買うようになった(月に2本)。森田屋という。
 その時期が、いまから考えると、夏子の酒が評判になったころである。この物語がテレビ放送されたのは1994年、わたしはそれも見ていないが、そのころではなかったか。本はいまになって、図書館から借りて読むことができた。
 参考「うまい日本酒はどこにある?」
 カバーの挨拶文に、
……
ここ数年、日本酒は素晴らしい向上を遂げている。
伝統的な醸造文化と、近代的な醸造設備、醸造学が結びつき、
流通の発達が私たちに美酒をもたらしてくれた。
にもかかわらず、十年以内に蔵は、さらに(1700の)三分の一に減るだろうと予測する専門家もいる。
今、日本酒は世界中の酒の中でもっともおいしく、
それはひょっとすると今しか飲めないのかもしれない。


 夏子(22歳)の生家は「月の露」の蔵元である。コピーライターとして生きようとしていたが、不味い酒をさも美味しそうにするコピーに違和感を持った。その時、家を継ぐはずの兄が病に倒れ、それをきっかけに生家に戻り、酒造りを始めることになる。
 兄は龍錦という幻の米を探していた。酒のための米である。戦前はあちこちで栽培されていたのに、今はどこにもない。その種をようやく見つけて1350粒を手に入れるが、帰らぬ人となる。
 夏子は農作業を知らないが、その種籾を独力で育てようとする。もちろん協力してくれる人もいるが、この苦心談は見所。この米のモデルは亀の尾で、その苦心談を基にこの話も作られたとか。
 ここで有機農法の話が出てくる。龍錦は有機農法でなければ育たない品種なのだ。倒れやすくて病虫害に弱い。有機農法なら、茎はしっかりして病虫害にも強くなる。
 たとえば、地区全体で、薬剤の空中散布を行う。龍錦の田だけ外すことなどできない。夜中に田をシートで覆う。散布の時間がずれて、登校途中のこどもたちなどにかかり、大勢の子どもが病院に運ばれた。農家はそれでも省力化のために薬剤の空中散布をやめることができない。
 台風がきた。夏子は嵐の中でロープを張って稲が倒れるのを防ぐが、まわりの田は倒れてしまう。倒れると機械で刈り取ることが難しくなる。
 この地域の離れた所でただひとり有機農法をやっている人がいた。その人の稲は何もしなくても倒れなかった。
 一年目の収穫は全て二年目の種籾とする。何人かの農民を説得して、この米作りをしてもらうのだが、薬剤の空中散布をやめよう運動すると、所謂有力者から邪魔が入る。
 当時の米の総生産は約三兆八千億円。だが一兆円以上は、農業機械や薬剤や化学肥料にあてねばならない。それらにとって、有機農業が広がるのは脅威であった。その芽をつみ取りたいため農家を脅迫してまわったりする。
 この本は酒ばかりでなく、有機農業の話でもある。
 この中で正気と狂気が逆転する話は鬼気迫る。ある女(世間的には問題児といわれる)が、立ち直ろうとするのに、その父親が潰してしまう。それを親の愛情だと勘違いしている。インドの乞食の親の愛を思わせるような話だ。
 注:子どもの両足を切断したり、目を潰したり。そうなると乞食として貰いが多くなる。これが乞食の親の愛情である。

 ここでは本人は、それをきっかけに家を出てしまう。

 酒造りは会社とは別に杜氏(とうじ)が一団を組織して、酒つくりの時期だけ働く。約半年である。その酒造りの過程や注意、従来のやり方と大工場のやり方の差。できた酒についての蘊蓄。それらは非常に綿密に語られている。そして神業に思える夏子の利き酒能力も面白い。
 純米と本醸造と一般の酒の意味。純米は米だけであるが、本醸造は酒に味付けアルコールを入れたもの。アルコールは25パーセント以下。そして普通の酒は、三倍にしたもの。つまり、酒三分の一+アルコール三分の二。なんとこれが市場の90パーセントを占めた。酒といえばこのアルコール添加の酒しか知らない人が多い。
 念のため付け加えるとフランスワインは葡萄酒100パーセントである。一滴でもアルコールを加えたらワインとは言えない。法律で決められている。法律はともかく、酒は文化であり、フランスではそうしてワイン文化を守っているのだ。
 酒は特殊な事情もあり、本醸造でもうまい酒がないわけではない。しかし、文化の名に値するのは純米ではなかろうか。

 販売の問題もある。自分で飲みもせず、味も香りも判らないで売る酒屋。純米とはなんのことか知らない酒屋の奥さん。級別が意味のないことを知らず、味が判らずウマションで満足するお客。さようわたしも知らなかったのだ。
 この当時、純米酒しか造らない蔵は埼玉の神亀だけだったという。わたしが森田屋で最初に勧められた酒がその神亀だった。
 しかし、新しい息吹があった。都会の酒屋が美味しい酒を求め出したのだ。今までいくら地酒を勧めても大メーカー酒しか買わなかったお客が、美味しい酒の味を知り始めた。地元の酒屋では断られた「月の露」も東京に活路を見いだす。

 夏子の利き酒能力はますますさえ、ついに理想の味を見つける。それは新しい酒米龍錦を使い、二十七歳の新米杜氏に造らせた酒だった。

 なお、この物語の杜氏は吉川杜氏。この吉川の高校では全国ではただ一つ醸造科があった。残念ながら5年ほど前に廃止されたという。
 久しぶりに食事も忘れて読みふけった。世間から十年遅れたが、その間にわたしも酒に対する知識が増え、内容を理解できたのだ。十年前では感心しても感動はしなかったであろう。
posted by たくせん(謫仙) at 06:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も酒の話より有機農業の話に惹かれました。
私も農村の出身ですから、あの農作業がいかに大変かよく分ります。だから、薬の散布をやめろとは言えません。
しかしこれからの日本の農業は、量より質に転換して、高付加価値の農産物を生産しないと苦しいと思います。
私の田舎でも有機農業の家が有ります。それなりに収益を上げているようです。
農村も暗い話ばかりではありません。
Posted by mino at 2006年08月23日 21:30
 minoさん。
 ときどき掲示板に書いてくださるmichiyoさんのブログに現地リポートがあります。日本農業は見捨てたものではない。けっこう明るいようです。しかし、デモシカでは無理なようですね。今では都会の若者より希望が有るかも知れない。
 どこにもいろいろな人がいますが、40歳になって、まだ親がかりの話を聞くとアレッと思いますから。
 わたしが接する範囲の若い人は、立派にやっていて、若い人は恵まれているなあと思っていたら、そうでもなさそう。
 そんなことまで考えさせられた本でした。
Posted by たくせん at 2006年08月24日 07:15
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