2011年12月24日

「涼宮ハルヒの分裂」の碁

 涼宮ハルヒのシリーズは、まだ全部読んだわけではない。その9巻目(読んだのでは7巻目)に碁がでてくる。
 次の赤字は108頁の引用。この小説は主人公キョンの一人称小説。だから地の文とキョンの台詞の区別がはっきりしないところがある。ここは全て地の文だろう。

 ハードディスクがカリカリと音を立てるのを聞きながら、昨日から置きっぱなしになっている古くさい碁盤の盤面を眺める。やりかけの詰め碁。モザイクのように見える白黒模様の情勢は終局間際だ。てなりで進めて黒の三目半勝ち。俺にも解るくらいだから初心者レベルの問題だな。

 110頁では、古泉がその詰め碁の盤面を見て「もはや打つ手なしですね。投了です」という。そのあとキョンは古泉に4子置かせて対局する。

 せっかく碁を題材にしてくれたのに申し訳ないが、この文は大変な勘違いをしている。著者は碁を知らないか、知っていても初心者であろう。
 問題は「やりかけの詰め碁」。詰め碁とは何かといえば、碁の一部分を取り出し、互いに最強の手段で結果を問うもの。正しい手を問うのではない。さらに無駄な石がないことも求められるが、昔の詰め碁には無駄な石があるものもあったという。
 普通は「黒先白死」とか「白先生き」「黒先劫」とか。つまり結果は、生きるか、死ぬか、劫か。
 本題は結果が「黒の三目半勝ち」。これでは詰め碁ではなくヨセの問題である。
「正しい手を問うのではない」と書いた。例えば「黒先白死」の問題で、白は部分的に最強の手段で応じると結果(白死)のようになるので、実戦では「そうは打たない」のだ。
 どうするのかといえば、部分的には損害を少なくする手を打つであろう。あるいは手抜きして劫材に使うことを考える(捨てるという)。これが正しい手といえる。

 本書で述べているような、終局にいたる、結果が黒の三目半勝ちになる詰め碁は可能か。
 昔のような無駄な石があってもよいならば作れようが、現代の無駄石のない詰め碁では難しそう。それは珍瓏に属するか。珍瓏ならできそうだ。ふつう珍瓏の場合でも最善の手を打つとは限らない。全体における最善の手は問題の部分は捨てて他を打つ手だったりする場合もある。
 盤上に終局近くの局面まで石を置くのは大変な労力を必要とする。だからこのような問題なら問題図を見て頭の中で解こうとする。盤上に石を置いて解きたくなるのに初級者の詰め碁だという。想像もつかぬ。珍瓏なら時間をかけて置いて楽しむ。
「終局に至る無駄石のない詰め碁」を見たことのある方はいますか。そんな詰め碁を作ってみようという有志はおりませぬか(^。^))。
posted by たくせん(謫仙) at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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