2012年01月07日

吉野ヶ里遺跡(後)

佐賀 吉野ヶ里遺跡(後)

 九州の旅も今回で終わりです。

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 北内郭へ向かう。

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 北内郭はまつりごとの場所。建物も大きい。手前の建物は2階建て。儀式を行ったようだ。
   
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 北内郭の北側には墓地がある。このような甕棺が出土している。
 形はラクビーボールのようだ。上下に分かれる。

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 最北のこの墳丘の墓は銅剣やガラスの管玉など副葬品が多く、歴代の王の墓と思われる。甕棺が十四基。中は見学できる。出入り口は向こう側。
 発掘したがそのまま保存するため、屋根を設けて土をかぶせ、外観は元通りにしてある。
南北40メートル、東西27メートル、高さは2.5メートル。本来の高さは推定だが4.5メートル以上。

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 内部の様子。

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 倉庫には鼠返しも。

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 中のムラ。

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 蕎麦の花の案内に導かれ広場に出ると、一面に紅蕎麦の花が咲いていた。蕎麦は白い花ばかりではない。

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 ピンぼけだが、それなりにきれいな花だ。

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 倉庫群、市も開かれていた。
 このあたりはまだ工事中。

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 南のムラに向かう途中から南内郭を見る。

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 南のムラ、建物の中に入ることができる。

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 一周して、入り口近くの弥生くらし館。
 展示品はかなり充実していたが常設展ではない。この写真は裏口。

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 帰りに出口近くのレストランに入る。「吉野ヶ里御膳」だったか(^_^)。
 初めての食事写真だな。

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 駅まで戻り、南側に出る。歩いて七百メートルが、そこには吉野ヶ里公園まで2.1キロの標示があった。地図では遠回りするようではない。謎だ。

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 お金が残り少なくなったので、郵便局を探した。
 店舗に挟まれた小さな郵便局。局員は二人。カードで引き出すにも局員の手をえねばならない。暗号だけ自分で入れる。
 博多まで帰るともう日が暮れるころ。

 翌日、航空券を買おうとしたら、販売所が見つからない。地下鉄航空線の駅職員に尋ねると、「駅内にはありません」という。仕方ないので新幹線で帰ろうと、新幹線の切符を買って、十メートルほど歩くと、小さな航空券の販売所があるではないか。
 きっと「このあたりにはありません」の意味だったのだろう。
 この時点で博多見学の気力がなくなってしまったので、そのまま新幹線で東京に帰った。
posted by たくせん(謫仙) at 08:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
見事に復元されていますね。
邑というより砦という感じですね。
濠に柵・・・
同じでないしても対抗する勢力があったのでしょうね。
どんな人たちが住んでいたのか・・・

これだけのものを作るのは道具の乏しいころ
大変だったのでしょうね。

みていると想像が膨らみます。
Posted by オコジョ at 2012年01月12日 18:14
オコジョさん
ここはムラの中心部で、有力者の住むところなので、砦のような形になっています。もちろんあちこちにムラができてきて、それなりに対抗する勢力となっていたのでしょう。戦争があったとはいえませんが、その用心はしたのでしょうね。
この遺跡は最大級の大きさなので、この地方では大勢力であったと考えられます。それでも王と言っても、村長程度ではないでしようか。
この当時の生産力はどの程度か、案外大きかったとも言われています。木の文化なので、証拠が残りにくいので判断が難しくなります。

夢ですね。
Posted by たくせん(謫仙) at 2012年01月13日 11:05
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