前に この作者の 朱温 を紹介している。朱温は開封を首都とした後梁(907−923)(在位907−911)を建国した。
上巻は、朱温と同じ時代に敵対していた、太原を根拠地にした晋の李克用の側から見た世界だ。戦術にはたけていても戦略には疎く、強いのに思うようには晋の国土を拡大できない。
下巻は朱温も李克用も亡くなり、李克用の子李存勗(りそんきょく)が活躍する。後梁は皇帝が人材ではなく、国が劣化していく。朱温の遺臣によって、国が保っていた。
李存勗は戦地に於いては自ら飛び出し、それに気づいた武将が状況を判断して必死で李存勗を守るため、良将が減っていった。父の李克用にとうてい及ばず、局地戦には強くとも戦略的な考えがなかった。後に後唐を建国(923−936)(在位923−926)することになる。皇帝になると同時に暗君となっていく。もともと器ではない。
李嗣源は遊牧民の子である。李克用に見いだされ、養子となり李嗣源の名をもらう。
功名を求めず、戦闘に強く信頼されていた。あまりに部下や国民に信頼され期待されると、主君の疑惑を招くことにもなり、一時干されたりする。
李克用の死後は李存勗の下で有力な将として活躍する。
後梁の朱温の遺臣には人材がいて、李存勗の軍を阻むが、戦いの途中で後梁の佞臣により失脚。その後李存勗は一気に後梁を落とし、後唐を建国する。
このころ各地に群雄がいて、後唐の領土は全土の四分の一程度にすぎない。それなのに、李存勗は天下を取った気になり、国費を乱費していた。戦争には強くとも、国家の運営という能力がなかった。結局国は疲弊し、兵たちの恨みをかい、李嗣源が推戴され、次の皇帝となる。李存勗の在位は三年ほど。
李嗣源が二代目として帝位にいたのは7年(926−933)ほど、名君の部類に入る。質素な生活をするだけで、国庫は充実していく。李克用と同じく後継者に恵まれず、死後3年で後唐は滅びる。
その、小説であるが、下巻は登場人物が多すぎて、どうでもいいような細かいことまで拾うため、「今までのあらすじ」のような状況になっていく。人物を書くだけの文章量がないので、いつも「この人誰だっけ」状態になってしまう。
この傾向は 朱温 にも共通する。
もう少し的を絞って、僕僕先生のようにゆっくり書けばよさそうに思うのだが。
五代は、
後梁 907−923 朱温
後唐 923−936 李存勗、2代目李嗣源
後晋 936−946 石敬トウ(王+唐)
後漢 947−950 劉知遠
後周 951−960 郭威
であり、第一の名君は、郭威であろう。郭威については、小前 亮の 趙匡胤 参照。李嗣源はそれに次ぐ。
この時代、一代の英傑はいても、続く二代目に優れた人物がいないため、国が興っては滅んでいく。