囲碁梁山泊の2012青春号に、吉備真備(きびのまきび695−775)が唐に渡り唐の名人と碁を打ったという話が載っている。もちろんフィクションであるが、けっこう有名な話でもある。
碁を知らない吉備真備は鬼に一晩で教えてもらって、唐の名人と対局した。
後に碁を日本に伝えたという。
先日、東京国立博物館で「ボストン美術館−日本美術の至宝」(6/10まで)を見た。その中に「吉備大臣入唐絵巻」という十二世紀後半の国宝的な絵巻が展示されている。
その絵巻に碁を打つエピソードが書かれているのだ。解説文を読まないと意味が判らないが、現在の文字で別に書いてあるので、絵巻の草書が読めなくても判る。
持碁とみた吉備真備は相手の石を飲み込んで一目勝ちにした。それを疑った唐の人は下剤を飲ませたりしたが、どうやら出なかったらしい。
驚いたのは十二世紀の後半(絵巻の書かれたころ)にはすでにこの話ができていたこと。
吉備真備以前に碁は伝わっていたし、遣唐使は碁を打てる人も伴っていたというし、鬼とは阿倍仲麻呂であるが、阿倍仲麻呂は同時代人で一緒に唐に渡った人。まだ鬼籍には入っていない。
そんなこんなで、史実ではないことはすぐに判る。
ところで飲み込んだ石はどこにあった石だろう。当時はいわゆる日本ルールのはず。衆人環視の中で盤上の石を剥がして飲み込んだのではすぐに判ってしまうし、持っているアゲハマでは自分が不利になる。相手の持っているアゲハマまで手を伸ばして取るのは、いくらなんでも不自然。もちろん碁笥の中の石では意味がない。
つくっているときに取ったのだろうか。名人クラスならつくる前に結果は判っているし、おかしいと思えば並べ直せる。
わたしには相手の石を飲み込んで得する状況が思い浮かばない。それに善戦でもよかったはず。藤原の佐為とは人格に差がありすぎるな。
2017.8追記
吉備真備は命がけだったので、それくらいは許してやりたい。
藤原の佐為の人格に疑問の声もありました。
一晩で碁を覚えて名人と対局することは不可能だが、鬼が教えたことを認めると、一晩で名人と対局できるほどになった、その内容も認めねばならない。
だからここまでの仮定は受け入れて、その後の整合性を考えてしまう。
この考え方はSF小説を考えるのと同じで、仮定は認めてもそれ以外のところは整合性は持たせねばならない。武侠ドラマもそうで、仮定は無条件で認めてその後の整合性の乱れは追究する。
それが楽しい場合と投げ出す場合がある。