2012年06月17日

つばき、時跳び

梶尾真治   平凡社   2006.10
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 舞台は熊本市、主人公の井納惇(じゅん)の住まいは花岡山の中腹の百椿庵という椿に囲まれた古い家だ。
 山は標高百メートルをわずかに越えるほどの丘のようなところ。百椿庵には幽霊が出たという。しかも見るのは女ばかり。
 惇は横井小楠の小説を書こうとしているが、なかなか進まない。そんなおり、女の幽霊を見ることになった。
 そして天井裏で不思議な木組みと金属を見つける。それがタイムトラベルの装置だった。 「つばき」という美少女が現れた。幕末・元治の時代の人であった。今までも不定期に来ていたのだ。それが幽霊と思われていた。
 つばきの現代の見聞、そして発熱。惇の看病によって、互いに惹かれていく。
 そして惇も幕末の熊本へ行くことになる。それは惇の幕末見聞になる。
 惇の一人称小説なので視点が決まってて判りやすい。
 そのタイムトラベルの装置は使い方や性能がはっきりしない。経験則によって予想することになる。ふたりの考え方や心の動きが、対比によって際立つ。
 美しい結末。読んでいて楽しい気分になってくる。

 花岡山の中腹に住む惇が残りわずか六十メートルほどの花岡山に登るのに息を切らしたりするが、運動不足とはいえ若い男がそれは不自然だ。
 タクシー運転手がこんな上品な人は見たことがないと言うつばきは、オードリー・ヘプバーンのイメージだという。
 元結を「もとゆい」と仮名をふってあるが、熊本ではそう言ったのかな。江戸庶民は「もっとい」だ。
 風呂に入るシーンで、この時代はまだ石鹸は存在しない、と書いている。しかし大坂の陣では、家康は武士に石鹸を持たせた、という話を聞いたことがある。
 他にも似たような話があるが、それが常識だろうな。邪魔になることはない。
 惇の話すのは現代日本語、これが幕末の熊本で普通に会話できるか。
 その時代人が現代語で話すのは問題ない。小龍女が日本語で話すようなもの(翻訳です)。しかし惇と時代人が現代語で話はできただろうか。読んでいるときは気にならない。つまり、ファンタシィと思って読むことができる構成をしている。

 去年の11月、わたしは鹿児島・熊本の旅をした。
 地図で見たり通ったりした地名があちこちに出てくる。その前にこの本を読んでいたら、この山にも行っただろう。親しみを覚えた舞台設定だった。
posted by たくせん(謫仙) at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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