8月8日の午後は、帰る人は順にいなくなった。わたしや先生などこの日も宿泊する数人が残った。
一緒に爛柯を出たとき、先生が、「これからお茶屋さんで夕食するのですが、行きますか」とおっしゃる。わたし以外の人は話ができていて、予約してあった。わたしは別行動だったので、話ができなかったのだ。そこで「おかあさん、ひとり追加したい……」と電話で追加してもらった。計六人である。
ケータイを見つめて恋はままならず鴨の川原に願う七夕 謫仙
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先斗町の狭い路地を歩く。途中にある歌舞練場も通り過ぎる。
お茶屋に上がる。
まず出てきたものの蓋を開けると「大明成化年製」とある。
本物かどうか聞くなんてのは野暮。ハイわたしは野暮の極みでした。
ちなみに大明成化年製は景徳鎮のものらしいが、実際は日本で焼いたものに、模様のような感覚で大明成化年製と書かれている場合が多い。そのことを承知の上で楽しむべし。
目的の弁当
始めに声をかけた芸妓(げいこ)が予定がつまっているというので、別な芸妓を予定していた。そしたら初めの芸妓が時間の合間を縫ってわずかの時間だが来てくれた。
意外だったがこんな化粧の仕方もあった。
予約していた芸妓が来て、そのあと京都の方が来てその話の面白かったこと。
お母さんもほとんどわたしたちの部屋にいた。
舞妓の世界は年功序列で、高齢になるとなりにくいとか。
「30歳になって、17歳の女の子に『おねえさん、どう致しましょうか……』などとは言いにくいでしょう」
「お客様に普通の恰好で来なさいと言われても、数時間後には他のお客様の所に行くには、あの化粧は落とせない」とか。
「飛行機に乗るときは鬘は自分で持って入る。椅子に座るときは膝上で抱えていなければならない」
おそらく二度と行く機会はないだろう。
玄関
左褄を取って、右手で別れを告げる。
羨ましいことです。
私は行ったことはありませんが、行きたいという気持ちもありません。
財布の中身が心配で、とてもそんな気持ちにはなれません。
鴨川では8月に七夕をやるのですか。何時やってもおかしくはありませんが、それでもある程度の基準はあると思うのです。
一生の思い出になったことでしょう(笑)。
お母さんも、混んでいて急の申し込みでは無理、と言っていました。
御茶屋さん。財布の中身の問題で、先生はわたしに声をかけるのをためらっていたようでした(^。^))。
そうなんですが、ここまで来たら乗りかかった舟、一度は経験しておく価値があると思って参加しましたよ。
貴重な経験でした。(^_^)。