2012年12月06日

堀切から浅草

カメラ散歩 堀切から浅草
 「小菅から堀切」の続きです。

P9245716.JPG
 都営住宅と隅田川に挟まれた東白鬚公園をとおり、隅田川神社に行く。この神社は明治5年に隅田川神社と改称された。古くは水神宮であったという。周辺は東白鬚公園である。
 わたしには面白いところには思えないが、隅田川の鎮守なので一応参拝。頼朝伝説があるが、どこまで本当か。
 1975年に現在地に移ってきた。以前はもっと南にあった。
 参道の一の鳥居は、墨堤通りあり、都営住宅のビルの中を通り(間ではない)東白鬚公園を通って二の鳥居になる。

P9245717.JPG

P9245718.JPG
 ここに来るといつもツリーにカメラを向ける。

P9245720.JPG
 東白鬚公園は隅田川沿いのかなり長い公園だ。

P9245722.JPG
 隅田川上流を写しているというが…。

P9245723.JPG
 桜橋。ここからははっきりしないが、X字形になっている。歩行者専用橋。

P9245724.JPG
 吾妻橋が近づくと勝海舟の像があった。知らなかった。

P9245726.JPG
 吾妻橋。渡れば雷門が近い。
 落語によく出てくるが、1876年(明治9年)に命名されたという。それまでは大川橋。隅田川が大川といわれたころの名だ。江戸落語に本所吾妻橋が出てくるのはおかしいのかな。

P9245729.JPG
 定期観光船。船はいろいろあるが、この船の名はヒミコ。浅草が上流の終点である。いつか乗ってみたいとは思うがなかなか機会がない。

 帰りは三ノ輪まで歩いた。

P9245730.JPG
 吉原神社弁財天 狭いところにある。

P9245731.JPG
関東大震災の追悼碑。
 いまは埋め立てられたが、当時はこの前に池があって、焼かれた人が水に入って身体を冷やしたとか。大勢の人が亡くなり、追悼碑を建てた。
 そばに「花吉原名残碑(はなのよしわらなごりのひ)」がある。吉原の栄華を賛美しているが、吉原の栄華は失政の証拠。為政者にとって恥ずべきことなのだ。
 各地の同様の施設をその地の実力者が自慢する話も、昔の為政者の失政を自慢していること。

P9245734.JPG
 すぐ近くに吉原神社、ここも狭い。

 三ノ輪に向かう。
posted by たくせん(謫仙) at 08:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小菅から三ノ輪まで大変な距離でしたね。
江戸落語の吾妻橋は、俗称だと思います。
正式名以外にも江戸庶民は俗称を使っていて、それが明治に正式な名前になったのではないかと思います。
Posted by mino at 2012年12月15日 07:41
minoさん
案外、江戸庶民は正式な名は誰も使わず、通称で通っていた、という可能性はかなり高いでしょうね。
今でもそんな例はあちこちにありますからねえ。
そうそう小菅の拘置所も正式には東京拘置所でした。
道路の名前も国道◯◯◯号線なのに、◯◯街道で通っているようなものでしょうか。
Posted by 謫仙 at 2012年12月16日 10:15
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/305443097
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック