荒川の土手を歩き、堀切橋で荒川を渡り、続いて隅田川の橋を渡り、隅田川沿いに待乳山聖天宮をえて浅草に行ったので、二天門から浅草寺に入る。

この門は、元東照宮の門であった。建築後間もなく(1642年)東照宮は焼失し、再建されなかったため門だけが残った。その後は浅草寺の門になっている。
提灯もあるが、二天門と書かれている。両脇は持国天と増長天で仁王ではない。
中に入ったものの流れは一方通行で参拝は雷門方向から。
その流れを係員の誘導で横切って伝法院通りへ。

小さな骨董店、狸の下に千手観音と二宮金次郎。

商店のシッターの前で弟の写真を撮っている少女。わたしは芝居は不案内、なんのシーンだろう。

呉服店の屋上には、鼠小僧次郎吉かな?

伝法院通りを抜けると、浅草演芸ホール。普通は昼の部と夜の部だが、正月興行は4部興行。主任はともかく、その他はわたしの知らない芸人がほとんど。玉川スミなどなつかしい名前もある。

左手に折れ、雷門まで行く。いつも雷門見学の人が多いが、この人たちは参拝の順番待ち行列である。ほとんど動かない。ここから本殿まで隙間なく人がいる。
途中で、待乳山聖天宮に参拝済みなので、浅草寺は参拝せずに東武電車の駅に向かう。この日の歩行時間は約4時間。正味3時間か。
ただ、浅草は田舎(小諸周辺ですが)から、人が来ると良く案内しました。
小諸に帰るときに使った上野駅と浅草は親しみがあります。
といっても、浅草寺だけですが・・・
商店のシャッター、いかにも浅草らしくて良いですね。
その次が、丸の内と新宿でしょうか。
浅草の場合、あちこちに昔の雰囲気が残っているので、外国人も大勢います。シャッターの絵や鼠小僧などが全体で醸し出す雰囲気でしょうか。仲見世もありますし。
何度も行きたくなるところです。
演芸ホールとかいうのも下町らしい雰囲気ですね、玉川スミってホント懐かしい〜昔、ここからテレビ中継されてましたよね、それにしても玉川スミ!かなりおばあさんじゃ〜ありませんか?まだ活動してるのでしょうかね?
20年以上前、わたしが寄席に行ったころ、60歳以上でした。
正月ですから、「松づくし」でも踊ったのかな。往時でさえ、片足で立つのが難しくなったと言っていました。いまはどうでしょう。
何年か前、芸能80周年と聞きましたよ。三歳から舞台に出ていました。
今ネットで検索してみたら、大正9年生まれ、1920年ですね。すると86歳。現役の芸人です。
世の中凄い人がいますね〜森光子さんだって舞台ででんぐり返ししますものねぇ〜80過ぎの人には見えません!!
声もはっきりしていますし、化粧の力とはいえ、顔つきも若々しい。
見るたびに驚きますね。
話が少し脇道に逸れますが、演歌の人気男性歌手の『氷川きよし』のデビュー曲〈CDシングル〉は言うまでもなく『箱根八里の半次郎』ですが、そのカップリング曲は『浅草人情』と言う曲です。曲名の通り庶民の街である『浅草』の人情を歌った曲ですが、浅草と言う所は本当にこの『浅草人情』と言う曲に歌われている通りの街だと私は思います。東京スカイツリーも完成してこれからの浅草はますます一段と発展していくと私は思います。
>仲見世には老舗のブロマイド店の『マルベル堂』があります。
へえー、気がつきませんでした。今では画像がいくらでも手に入りますので、プロマイドの需要は減ったでしょうね。昔懐かしい人たちが取り上げられているのかな。
氷川きよしさんの『箱根八里の半次郎』はあまり上手いとは思えませんでした。ところが大ヒット。あとで他の曲を歌ったときに上手いのにびっくりしました。そのあとで『箱根八里の半次郎』を聞いてもやはり上手くない。不思議な気がしましたね。
で、当然ですが、わたしはシングルを持っていない(何も持っていない)ので『浅草人情』は聞いたことがありません。
東京スカイツリーが完成して、浅草は当分の間、心の中心になる街になるでしょうね。その間に銀座や渋谷新宿などとは違った形で、経済的にも中心になって欲しい。わたしも時々出かけています。
いままでのCD以外に何かあったかな。
2006年に宇都宮のコンサートが最後になりましたので、最近のとは判りかねます。
あや子のブログなども時々見ていますが、関東でのコンサートの話は見たことがありません。
あったら聞きに行こうかと思っています。
ところでプロマイドなんていまでも売っているンですか。