2013年01月20日

雑学「大江戸庶民事情」

雑学「大江戸庶民事情」
石川英輔   講談社   1998.2
     ooedoshomin.jpg
 江戸時代に詳しい著者の大江戸シリーズの一冊。
 あちこちに書いたものを集めたので、内容には重複するものもある。
 庶民の生活ぶりを現代と比較したり、外国のたとえばロンドンの庶民と比較して、優劣を論じ、特徴を引き出す。もちろん現代と比べれば不便であるが、その時代のレベルから考えると、かなり合理的な江戸庶民の生活が浮かび上がる。
 最初に疑問に思ったことに、明け六つ暮れ六つとは、という話がある。
 日の出日の入りというのが常識だが、実際には35分くらいずれて、太陽が地平線の下7度21分40秒にあるときである。この話は何度も出てくる。
 35分くらいずれるのは判るが、7度21分40秒には首を傾げた。当時そんなはかり方があったのか。たとえはかり方があったとしても、40秒などという端数を付けるだろうか。なにか別のはかり方があって、換算したらそうなったのではなかろうか。
 それはともかく、太陽と月の下で暮らした人々にとって旧暦は実に便利なものであった。
 我が意を得たりと思うこともある。外国の高級品と日本の日常品とを比べて、外国が優れているとするのはおかしい、という考え方である。外国の高級品と日本の高級品、外国の日常品と日本の日常品を比べるべし、なのだ。品物ばかりでなく藝術や生活の仕方なども。娯楽や労働なども。
 特に寺子屋でこどもを教育するやり方は素晴らしかった。識字率が高く、明治維新を乗り切る教養が育まれていた。

 基本的に現代の生活は永久には続かない、という考え方がある。石油は何時か尽きる。工業生産・農業生産なども今のやり方では、何時か尽きる。高度工業化社会は人類史で考えてみると異状な状態なのだ。それに対して、江戸時代の生活は、永久に続けることができる。基本的には優れているのではないか。
 もちろん我々が今から江戸時代の生活に戻ることはできない。そのことを承知の上で書いているので、判りやすい。
 現代のマイナス面はわたしたちも知っているところ。当時の生活のマイナス面も、しっかり書いて欲しかった。

 永井義男の 鮮魚師(なまし) には、
 江戸の社会を理想的なリサイクル社会と賛美する声が大きいが、当時はリサイクルとして考えていた訳ではなく、しかもそのマイナス面も大きかった。情緒的な江戸礼賛は危険である。
 という意見があることを付け加えておく。
posted by たくせん(謫仙) at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック