これは漢字としては問題がないわけではない。旧字体とあまりにもかけ離れているのだ。また本来の形に戻った字もある。たとえば「雲」は古くは冠がなかった。「云」が雲の本来の字である。
日本のネット上ではこの問題を取りあげ、「その轍を踏むまい」という論がある。人によっては、日本語の新字体も問題で、「文字は旧字体を使うべし」という人もいる。確かに問題がないわけではない。しかも現在はパソコンの普及により、いくらでも漢字が増やせ、複雑な字でも造作なく使える。
わたしは多少の不便があろうとも、今の新字体の方がいいと思うが、それは学習のためである。これからは漢籍を読む例の少なさを思えば、長時間かけて、旧字体を覚えることはないと思う。
昔、中国では、漢字を駆使するのは資産家階級の特権であった。時間と費用が無限にある人しか覚えられなかったのだ。これは漢字に限らず、古代の文字の特徴である。
現代では庶民も覚えられるし、覚えねばならない。そのためには漢字の制限や略字化はやむを得ないと思う。
日本では仮名文字ができたので、多くの人が読み書きできるようになった。
ここで、中国の簡体字のことだが、実は日本の略字問題とは問題にずれがあるのだ。
中国では、まず中国語があった。これは現代語とは似ても似つかぬほど違っていたであろうが中国語に違いない。これを書き表すのが漢字である。だから理論的には漢字でなくても、ローマ字でも仮名でもかまわなかった。更に20世紀までほとんどの人が文字を知らなかったので、言葉は文字にあまり左右されなかった経緯がある。
これに対して日本語は、まだ未熟なうちに漢字を取り入れ、漢字に沿って発達した。そのため漢字がないと意味が判らないのだ。セイコウと言っても成功か精巧か性行かは、漢字があって初めて判る。だから漢字は正確でなければならない。漢字以前の言葉、つまり大和言葉だけを使うならば、仮名文字だけでも意味が判る。
中国語では、中国語を表記するための漢字なので、読めさえすればよい。仮名でもよいのだ。いわゆる漢字の原則など無視してもかまわない。そのため中国の簡体字は漢字的な仮名文字に近づいている。いっそ漢字はやめて、ローマ字にしようという声もある。
つまり理論的には「干」と書こうが「幹」と書こうが「かん」と読めさえすればいいわけだ。多少は不便であろう。しかし、話したり聞いたりするときはその区別はない。
日本語と比べて中国語では、漢字の必要性がかなり小さいことを、理解して頂けたであろうか。
そう見ていると、簡体字に対する日本人の批判は、間違いではないのに、ずれを感じるのである。
来世紀には、中国語はローマ字表記になっているかも知れない。そうなると漢字を使うのは日本語だけになる。
その時は、日本語も漢語に代わりローマ字語が多くなっていて、漢字が必要なくなることも考えられる。中国は中国語をローマ字化。日本はローマ字語+大和言葉だ。
昔は漢字しかなかったので漢語を取り入れた。いまはローマ字語がある。
戦後の落語で(海老名の)正蔵は「あいはゆーをらぶしてる」とやったが、同じように「わたしはあなたをloveしてる」とすれば漢字がなくても意味が通じる。
英語に限らないが、こうして漢語の代わりにローマ字語を取り入れるのだ。それは漢字を覚えるより大変かも知れない。漢語の習得は、現代の古語の学習と同じように学ぶことになるか。もっとも、それまでにもっといい案が出てくるであろう。
簡体字の話しでしたね。失礼しました。
簡体字から日本語表記の話まで書いていますし、曲解しない限り、この範囲を飛び出してもいっこうにかまいません(^_^)。
カタカナ語では日本語化したものもありますが、一部では、まだ日本語化していないカタカナ語を使って誤魔化したがる傾向があるように、わたしも思っています。それは脇に置いておいて。
とにかく発音が今のままでは無理でしょうね。日本なまりでも英語発音ができないと。だから漢字を覚えるより大変かも知れないと思ったのですが。
ただ、世界中で日本人だけが漢字を使わねばならないという事態だけは、避けたいものです。だからローマ字書きの漢語を取り入れることも考えられます。これなら今の漢語と同じですので、発音だけ中国語化すればいいのですが、実はこれも難しい。
とにかく、漢字がなくても、つまり聞いただけで理解できる言葉にしなくてはいけません。
向こうの書く字が読めませんし、こちらの書く字も通じない。
といって、漢字に全く意味がなくなった訳でもない。
台湾は1度行きましたが、どうだったか、良く思い出せませんが、
日本に近かったような気がします。
漢字を使っていた韓国は、今はハングルのみですね。
私の行った町はサンボンといいました。
漢字で書くと山本だそうです。
若い人は自分の名前も漢字で書けなくなっています。
日本にとっては、不利ですね。
最近はカタカナを使いすぎですね。
日本語で通じるものを、なぜ・・・
英語の苦手な者の 僻み・・・
私は今の「漢字・かな」混合が好きです。
ローマ字化も一部で言われているだけですが、実際に日本の仮名文字のように読み方表示として使っているので、可能性は大きいと思います。
日本の場合は、かなもじだけでは意味が通じないのが弱点。
韓国の場合、漢字を使えなくなったのはともかく、ハングルだけでは、漢語が通じにくくて困っているとも聞きました。
文章としては、今の「漢字・かな」混合が優れていますし、わたしも好きですが、会話では通じないのが問題。
私立をわたくしりつ、市立をいちりつと読まなければならなくなる。こうして声だけで意味が判るようになれば、世界中でローマ字を使っていて(多くの例外がありますが)、日本だけが漢字を使っている。という事態は免れそうです。
もっとも日本も例外の中に入って、漢字を守るというのも手かも知れません(^。^))。
まあわたしが生きている間はそんなことにはならないでしょう。
華僑でも二世三世となれば、中国語から離れるでしょう。
台湾では、今のところ旧字を捨てるような政策はしていませんが、この習得にかかる時間が長すぎて困っているようです。このまま行くものでしょうか。
でも旧字だからわたしには判りやすいものでしたね。
とにかく、この優れた文字漢字の消滅は避けたいものです。
そうは言っても三代も先の話しですから、どうなりますか。その時現在のような国境があるのかどうかも分かりません。多民族国家になっていることは間違いないと思いますが、日本の共通語が日本語かどうかもあやしいと思ういます。そうなると漢字を保存するかどうかなど問題外ですかね。
柳沢発言が問題となったように、単純に生んで人口を増やすことがいいとはいえません。
人口の減少・外国人の日本人化、つまり多民族は間違いないでしょう。
案外、国境は残りそうな気がします。言語はどうでしょう。多言語国家となるか。英語に席巻されてしまうか。
わたしも、世界でただひとつ漢字を使う言語として残るのも、大きな選択肢だと思いますよ。
でもその前にエネルギー問題・食糧問題が立ちふさがっているか。
簡単な文ですと、今でも多くの言語に翻訳されています。
それが、もっと精密になって、私が日本語でしゃべると相手は翻訳された自分の言語で聞くことができます。
その場合は、日本語が聞いて判るようになっていないといけません。
漢字の問題の解決とはいえませんが、ひとつの選択肢として考えられます。
そうすると漢字温存に問題のひとつが解決します。
ただ、音声入力では音声で意味が判るようにならないとパソコンが迷いそう。
それまではパソコンも進歩し、日本語も変わってくることでしょう。
わたしの話し言葉は、何度か、意味が判らないといわれたことがあります。本で覚えた言葉を何気なく使ってしまって、それが話し言葉では使わない言葉だったりします。
漢語だったり、雛語や雅語だったり。
でも文章に書くと、何の問題もないんですけど。いまとっさに例が浮かびませんm(__)m。
5年ほど前、上海などを旅行したとき、空港の表示に旧字体がけっこうありました。
添乗員のはなしでは、最近復活してきたと言います。
台湾との復交、華僑の里帰りなどで旧字体が必要になったということでした。
可能性は低いが、みんなが高校に行くころになると旧字体になる可能性も考えられるそうです。
そこまで教育レベルが上がるのは大変ですが、逆に漢字を捨てる可能性も低いのではないですか。
根拠はありませんが、100年後では無理ではないかと思えます。
空港で旧字が復活していますね。中国語の簡体字と旧字、英語そして日本語など。今のところは外国語表記と同じような意味合いかと。
中国全体が高校進学は、まだ先かと思いますが、2世代先はなっていそうな気がします。だから来世紀は旧字体に戻ることはあり得ますね。漢字を捨てるより確率は高そう。
ここで書いたことは、
日本の略字は旧漢字の簡略化。
中国の略字は、漢字離れの一歩、かなもじ化。
で、現状では日本は漢字離れできないが、中国は可能性がある、ということです。あくまで比較の程度で、わたしもすぐに漢字がなくなるとは思っていませんよ。そのことをふまえていない簡体字批判は、どこかずれを感じる訳です。
実際わたしは、簡体字を見たときは、それを頭の中で繁体字に直して、ようやく理解しています。中国語の判る人はそんなことはしていないんでしょうね。
書き込みありがとうございました。
例:謫仙=「ㄓㄜˊ」「ㄒㄧㄢ」:)
下記のURLをご参考してください:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A8%E9%9F%B3%E7%AC%A6%E5%8F%B7
わたしの辞書にも注音字母としてありますが、わたしは憶えようとはしませんでした。
でも台湾に行ったころにはこれに注目したことがあります。
当時、台湾で買った子供向けの本に使われていました。
外国人にとって注音符号は使いにくく、ローマ字ピンインの方が優れていると思います。
中国人にはいかがでしょうか。
現在のところ、あくまでも発音記号で、かなもじとして使用はしていない。漢字と注音符号の混じった文の試みはあったのでしょうか。
将来、日本のかなもじのように使われる可能性は低いと思いますが、何かがきっかけで爆発的に広まる可能性もあるでしょうね。
この項を書いていた当時は、注音符号は頭にありませんでした。決して無視できることではありませんね。
注音符号で書かれた文。試みている人はいるのでしょうか。
ぼく自身にとって、「注音符号」は不便利とか感じませんが、やはり漢字のほうが好きです。
不便を感じないのは、表記方として優れているからで、実用化できる可能性があると言うことです。
ただ、新聞などがそれで記事を書くかどうか。今のところ望みはなさそうですね。わたしなどは読めなくなってしまいます(^_^)。
「不便利」という言葉はありません。意味は通じますが。
「便不便」つまり「便」と否定の「不便」です。ただ「便」だけでは通じにくいので「便利」と使います。
肯定は「便利」、否定は「不便」。
そういえば、「不便利」は中国式日本語です:)
>漢字以前の言葉、つまり大和言葉だけを使うならば、仮名文字だけでも意味が判る。
同音異義語は言語の音素の制約によって発生しやすいので、外来語で多く発生したりしますが、大和言葉に同音異義語がないわけではありません。
>来世紀には、中国語はローマ字表記になっているかも知れない
中国語は方言の発音などの差異は大きいものの、書き文字での差異は少ないので、それで意思疎通できることが「一つの中国」への説得力をもたらしているように思われます。そんな中国が漢字を捨ててラテン文字化を選ぶでしょうか。
大和言葉でも同音異義語はたくさんあると思いますが、昔はその地方(村)だけなら、文字が無くても、耳で聞いただけで通じたはずです。
今の日本語は外来語つまり漢語や欧米語が多くなって、大和言葉は少なくなってしまいましたね。そのため耳だけでは通じないことが多いと思います。
現実的には大和言葉だけでは、実用的な文は成立しないでしょう。
中国が漢字を捨ててラテン文字化を選ぶか?
わたしは繁体字を簡体字にして、読みをローマ字で表記するのは、その第一歩とみています。
ただ、おっしゃるように、不統一な各地方の発音などを統一しているのが漢字ですが、初歩の中国語では発音をローマ字表記にしているので、数代後には音だけで通じるようになるのではないかと思っています。
そのときに漢字を捨てる可能性はあると思います。捨てると言っても、なくなるわけではなく、新聞や本などでは、中心がローマ字になるということ。
繰り返しますが、「現状では」日本語は漢字離れできないが、中国語は可能性がある、ということです。
この項は10年前に書いたものですが、最近のAIの発達は予想外でした。22世紀には、完全翻訳をやってくれるかもしれません。その頃には中国語も日本語も大きく変わっていると思います。日本語は漢字離れができるようになるかもしれません。
イギリスの英語だってフランス語がまじってても全部アルファベットで つづるように、
日本語だって漢語がまじってても ひらがな で かけばいい。
だからべつに ひらがな でも いけるんです。
ちょっと わかりにくい だけで。
もっといえば、ローマ字でいいです。
「近代化のころ」これは明治維新と考えて良いでしょうか。
まず江戸時代末期の混乱の時代では不可能。いや、明治維新の頃でも困難でしょう。
そうすると、明治の近代化の時代になります。
当時の権力者たちは、漢語文化にはまっていて、庶民には言葉が通じませんでした。
当時、漢語まで平仮名でかけば「わかりにくい だけで。」どころか、全く通じなかったと思われます。
方言を統一して、共通語を成立させるのが精一杯。このとき、漢字廃止の可能性があったかもしれません。
この頃、国語をフランス語にすべし、という意見がありました。いまから思えば、英語の方が良かったでしょうが、ともかく採用されませんでした。
第二の維新、太平洋戦争後に英語化という可能性がありましたが、日本語が保持されました。
漢語をかな文字で書いては判りにくいどころか通じない。この問題はいまでも解決していないと思います。
この問題が解決しない限り、日本語の漢字廃止は難しい。漢字を廃止したらそれなりに言葉が発達したでしょうが、時間がかかる。日本は近代化できたか。独立を維持できたか。疑問に思います。