このところ柳沢大臣の発言が問題になっている。実は言葉そのものはたいした問題ではない。
「あとは「生む機械」と言っちゃなになんだけど…」と言った、生む機械発言。
前後関係を読んでみると、単なるたとえに過ぎない。それが問題なのは、「…、一人頭でがんばってもらうしかない」という、個人的な努力を要請して、政策がないからだ。が、表面的に問題になったのは「生む機械」という言葉。
これが問題になった理由を推測すれば、柳沢個人のこの問題に対する考えに、従来から問題になっている底意が見え隠れするからだ。それがなければ、同じことを言うにも、もう少し違った表現をするのではないか、と思えるからだ。
底意がないとしても失言である。的確な比喩を使えない人は、比喩を使うべきでない。まして、言論を職業とする人は、それでは仕事にならないだろう。
最近では、「子どもを2人以上持ちたいという(希望を持つ)極めて健全な状況にいる」と言った。
そして「ならば、そうでない人は不健全か」と抗議された。
柳沢発言は、問題のないごく普通の発言であろう。抗議の声も極めて論理的推論だと思う。二者択一で一方を健全としたら、もう一方は健全ではない。ただ、よく考えれば、そうでない人にも健全な人はいる。
だが、柳沢は「そうでない人も健全です」と答えるはめになった。発言者本人がそうでない人にも健全な人はいるということを自覚していないのだ。
ならば健全でない人とはどんな人か。同時に、最初の前提である、「子どもを2人以上持ちたいという(希望を持つ)極めて健全な状況にいる」、といえるのか。
あれも健全これも健全なら、それを片方だけ健全と言うのはいかなる意図か。ここにまた、底意が見え隠れしてしまう。
本来は「そうでない人には健全な人と不健全な人がいて、不健全な人を、健全になるよう努力します」などという意味の答えをしなければ筋が通らない。それが正しいかどうかは、また最初の前提の健全かどうかの検証は、別な議論になる。
健全とか美しいとか、人によって判断の異なる言葉を、政策の場で出すからおかしくなるのだ。
ここでは柳沢大臣は辞職するのが健全で美しい。
わたしのように、柳沢大臣の反応がおかしいから、まともと思っていた最初の発言まで、逆におかしくなった、というのは見なかった。
ただ、どうしてか、鋭い意見も、例えをあげて判りやすく説明しようとすると、どこか疑問が生じてしまう。わたしも例えをあげてみよう。
夫婦で子どもができないので、柳沢医師の診察を受けた。ふたりを前にして柳沢医師は、「奥様は健全です」と言ってそれ以上言わない。
男は「俺は不健全ですか」と問うと、「旦那様も健全です」
それならなぜそう言わなかったのか。不妊治療ができないため、ふたりが気づかなければ、男の責任と思わせてしまおうと思ったのではないか。と勘ぐるのが普通の反応。
この例えは判りやすいが、どこか間違いがありそうm(__)m。
ただ、「これこれは不健全」とは筋が通ると言っても言いにくいでしょう。たくせんさんの要求はちょっと無理ではないかと思います。
これはこどもをふたり以上生むのが健全というムード作りを試みたのに、ムードができる前に嘘がばれてしまったのではないかと思います。
イラク派兵も、それなら仕方ないと思ったが、その前提が嘘だった。しかし、すでに派兵してしまった以上、嘘だったことがばれても目的は達成した。ところが柳沢発言は、ムードができる前に本音がばれてしまった、というところでしょうか。
もっとはっきり言うと、
「男は外で仕事、女は仕事などせず、子どもを育てることに専念せよ、それが健全である」
という底意が感じられる。それは言外なので、質問も健全云々となってしまう。わたしは柳沢の質問に対する答えで感じたが、敏感な人は聞いた瞬間に感じたのでしょう。
ムードづくりなどという遠大な計画性は、持ち合わせていないでしよう。