2013年03月02日

我ニ救国ノ策アリ

我ニ救国ノ策アリ 佐久間象山向天記
仁木英之   幻冬舎   2012.10
     2013.3.2.jpg
 仁木英之といえば、僕僕先生をはじめ中国ものばかり読んでいた。これは江戸時代末期の佐久間象山の伝記的な歴史小説である。
 幕末動乱の時代を間近に、見かけ倒しの江川太郎左衛門の砲術を批判し、実用の砲術を説く。全国から教えを乞う者が集まる。弟子の中の筆頭が勝海舟と吉田松陰であった。

 ペリーの来航によって、幕府の屋台骨が揺らぎ、幕府が対処に困っていたとき、佐久間象山の属する松代藩は、江戸防衛に駆り出されて右往左往している。そこに佐久間象山は救国の策を提案する。だがそれは幕府にとって、現実を無視したような策であった。そのため採用とはならず、志半ばで暗殺される。一代の英傑の話である。
 アメリカは戦争をしようとはしていないことを見抜き、日本も戦艦を購入して、戦いの姿勢を示せばよい、そのお金はいくらかかってもよいと説く。
 しかし、のちに戦艦とはいえない咸臨丸を購入し、その高価さに驚く。それではとても何隻もの戦艦を買うことができないことに気づく。
 大砲は江川の大口径短距離砲より、小さくても相手に届くような長距離砲にせよと説く。これは納得できる。
 もし暗殺されなかったとして、日本を救うような英雄になれたか。私は疑問点が多くある。
 佐久間象山は科学が得意でも、国家経営的感覚に疎い。牢に入ろうとも評定所でも相手を論破して意気軒昂としている。しかし論破しても相手が納得するわけではない。開明的な思想を持っていても狷介な性格とも言える人物であり、本人を目の前にしたら、わたしたちでも困りそうな様子が伝わってくる。
 後を継いだのが勝海舟、優れた常識人であり、幕府を代表する人物になる。もっとも科学に疎いという欠点があったらしい。
 象山のもとで学んだのは吉田松陰と勝海舟ばかりでなく、河合継之助など多くの若者たちが時代に影響を与えている。
posted by たくせん(謫仙) at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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