2007年02月27日

笑傲江湖の碁

06.10.18
 金庸の小説に「秘曲笑傲江湖」がある。読んだのはかなり前なので細かい話は忘れてしまったが、2001年に大河ドラマになった。
ここで制作者はかなり手を加え、特に最後は大きく変えてしまったため、金庸の怒りを買い、「次回からは原作に沿って作ります」と約束することになった。
 その後「射chou19.jpg英雄伝」や「天龍八部」なども大河ドラマになっている。約束通り原作の設定はほとんど変えていない。
 2001年版と断らなければならないのは、何度も映画化されたので、断らないとどれだか判らないからだ。特に以前の作品は大幅に設定を変更して、固有名詞は変わらないものの、全く違った物語になってしまっている。

 前に天龍八部の珍瓏を紹介したことがある。
 笑傲江湖2001年版では碁の話が三度出てくる。
(以下は武侠世界の抜粋)
 一度目は崋山派が山を下りて、洛陽の林平之の母の実家に身を寄せたとき。
 新入りの林平之もこれで肩身が広くなるし、岳霊珊の心も林平之に傾く。すでに二人は婚約に近い状態。その時の林平之と岳霊珊の対局である。
碁石を親指と人差指で摘む。盤面は見えないので内容はなんともいえない。
     leisan-go.jpg

 二度目は西湖のほとりにある梅荘に、向問天が令狐冲をつれて任我行を救出に行ったとき。令狐冲は騙されているのだが、それはともかく、棋譜の話が出てくる。
 この梅荘は日月神教の別荘で、江南四友(4人)が教主の東方不敗のやり方に失望して引退を願い、任我行を閉じこめる役をする代わりに、ここで自適の生活をしている。
その長兄の自決間際の言葉。
「わたしたちが入信したのは、江湖で有意義な行いを成し遂げたかったからだ。ところが東方教主は悪の道へと走り、多くの仲間を粛正した。我々はすっかり嫌気が差し、この職を選んだ。黒木崖から遠く離れれば、抗争に巻き込まれない。隠居生活を楽しんで趣味に打ちこめた。この12年で一生の楽しさを味わった。…」
 向問天は江南四友の興味を引くため、楽譜や棋書などを持参する。
 棋書は「忘憂清楽」までしか見えないが「忘憂清楽集」のはず。最古の棋書である。その中に出てくる棋譜は12ある(ここでは)と言うが、説明があるのは次の3棋譜。
 ★王質が爛柯山で仙人と会ったときの対局
 ★劉仲甫と仙人の驪山での一局
 ★王積薪のキツネ妖怪との対局

 これ以上の説明はない。このとき碁盤が出てくる。
     goban.jpg
 どういうわけか左右に余裕がある。この形は初めて見た。

 三度目は恒山が攻められようとしたとき、応援に来た、少林寺の方丈である方証大師と武当派の掌門である冲虚道人の対局。
    kouko-3.jpg
 冲虚道人の黒石を持つ手は普通の持ち方なので、俳優が碁を知っているか。ただし打ち方がぎこちないので形だけかも知れない。方証大師は親指と人差し指で挟んで持つ。これも盤面はよく判らない。

わたしが調べたところを補足すると、
★王質が爛柯山で仙人と会ったときの対局
 浙江省の西部、福建省・江西省・安徽省の境目に衢州(クシュウ)市がある。爛柯山は市街地より西南13キロにある山で石室山とも呼ばれている。
 その昔、王質という樵がいた。ある日、王質は、近くの石室山の山中で、二人の童子が碁を打っているのに出会った。その碁に見とれているうちに、持っていた斧の柄(柯)が腐(爛)ってしまった。それだけの時間が経ったのだ。この伝説から爛柯が碁の別名となる。

★劉仲甫と仙人の驪山での一局
 劉仲甫は宋代の代表的な棋士とされ、囲碁の技量をもって宮中に仕え、当時無敵を誇った。玄玄碁経にも劉仲甫の「碁法四篇」がある。
 幸田露伴の文に「宋の南渡の時に当つて、晏天章元々棋経を撰し、劉仲甫棋訣を撰す、是より専書漸く出づ。」とある。北宋から南宋に変わるころの人であった。
 驪山での一局とは「本朝劉仲甫遇驪山口媼奕棋局図」である。この驪山は始皇帝陵のある驪山であろうか。

★王積薪のキツネ妖怪との対局
 王積薪は囲碁十訣の作者という。唐の玄宗皇帝時代、官僚の王積薪が、守るべき碁の戦法を簡潔な十箇条にまとめた。
 王積薪は碁の熱烈な愛好家で外出時に石と布製の碁盤を常に持ち歩き、知っていると聞けば誰とでも碁を打ったという。
 話は、唐の玄宗皇帝が巴蜀の地を巡った時というから、安史の乱の時であろうか。
 王積薪もお供をした。地方の宿泊では上の人たちで旅館がいっぱいになり、下の王積薪は野宿となる。ある日野宿しようとしていると一軒の家を見つけた。住んでいたのは老婆と若い女。そこに宿を頼んだ。
 王積薪が寝ようとすると声が聞こえた。二人の女が暗闇で碁を打とうと言う。
婆婆説:「起東五南九置一子。」
若い女回答説:「在東五南十二置一子。」
婆婆説:「起西八南十置一子。」
若い女説:「在西九南十置一子。」
 老婆と若い女(女偏+息)は一手毎に長考した。時間が経ち、はやくも四更(夜二時ころか)になった。ふたりが三十六子を打ったとき、老婆が言う。「わたしが九子勝ちましたよ」。若い女も同意した。もちろんコミなしである。数え方が判らないが、唐代は日中どちらの数え方をしたのだろう。
 翌日、王積薪はふたりに碁を教わる。そして家を出て十歩も歩くと、もうふたりはどこにもいなかった。この後、王積薪は不世出の名手となる。
 これは神仙伝説であって、キツネ妖怪ではないなあ。
posted by たくせん(謫仙) at 10:29| Comment(0) | TrackBack(1) | 武侠の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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