2019年11月28日

死を恐れずに生きる

   駒田信二  講談社   1995.5.25
               2019.11.28 追記

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 2019/11/28追記
 いまもう一度読みたいと思っている本がある。駒田信二の「死を恐れずに生きる」だ。死の直前に書かれている。
 その本の中で、特に儒教思想に対する反発は同感する。
 駒田信二は中国系の軟文学で有名だが、漢文学者である。
    島根大学教授、桜美林大学教授、早稲田大学客員教授を歴任(ウィキによる)

 ちかごろ武侠ドラマ以外にも、中国の時代劇テレビドラマを見ることが多い。この中でもどうしようもない違和感は、この儒教思想である。
 皇帝は全世界を統べるという思想なので、外国の王さえ地方に派遣した臣下の扱いである。そして、臣下は熱心な協力者となる。
 まるでミツバチやアリの役割分担のようだ。各家庭でもそのミニ版である。
 その正反対にいるのが駒田信二であり、その思想はこの本に濃縮されている。
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1995.5.25記

 死の一週間前までに著者の語ったものをまとめ出版したという。平成6年80歳である。

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人と争うな、競うな、偉くなるな、出世するな、ということだけは娘たちに伝えたい…。
つまらぬ野望など抱かず、のびやかに彼女らの人生をまっとうしてほしいと願う著者が語る真摯な生き方。


第一章 「死」と向き合って考えたこと
第二章 人間のあり方を見つめ直す
第三章 いつも精神を自由にしたい
終章  残された「生」を精一杯生きる

「生きる自由のない時代」に何度も死と対峙した著者が、その体験談を話し、自らの諦念を語る。
 懲罰出征されて戦地へ送られる。懲罰出征とは、「どうも言動が怪しいようだが証拠がない。無理に徴兵して戦地へ送ってしまえ」という出征である。
そして、位が上だという理由で散々に殴られる。高校(現在の大学)教員は位階は高いのだ。
 反発して、軍人勅諭さえ覚えなかったら、中国では共産党のスパイと間違われた。日本兵なら軍人勅諭が必ず言える時代である。そして重慶の刑務所に入っていた。後に重慶で、その刑務所に入っていたが命が助かった、という話を現地の中国人に話すと、みな涙を流して喜んでくれたという。
 若いときにそんな体験をした著者は、また中国思想にも詳しい。儒教のいかがわしさにも敏感で、
 儒教に根ざした思想は持ちたくはない。権力の側に立って仁政を施すといっても、所詮目の位置は下に向けられているのです。慈悲の衣をまとっていても傲岸不遜さが見え隠れするこのような考え方をわたしは信じません。

 そのような考え方でその後の人生を生きた著者の、「人と争うな、競うな、偉くなるな、出世するな」という思想に、わたし(謫仙)はもっとも同調する人生を送っているような気がする。
 どうも父親の在り方が似ているようなのだ。家族を犠牲にして、ひとりだけいい思いをしようとする父親の姿はそっくり。それに対する反発心。

 人間万事塞翁が馬という言葉がある。この「人間」を「じんかん」と読む人はどれほどいるだろうか。読み方は「にんげん」でいいが、意味は「じんかん」で「人の世」や「世間」の意味である。そう考えると意味がまるで違って見えないか。
 聖徳太子の憲法の中に、「以和為貴」という言葉がある。これはどう読むか。「和を以て貴しと為す」が普通であろう。
 しかし、イワイキと読む。なぜなら「和を以て貴しと為す」というのは平安時代になって考え出された読み方。聖徳太子のころはそのような読み方はなかったのである。
 ではイワイキで意味が通じたか。結局、同時の為政者は倭語や朝鮮語と同時に漢語を普通に使っていたのではないかと思われる。
 こんな蘊蓄も好きだが、特に著者の文章に対する考え方が好きなのだ。点の打ち方に神経を使っている。「私はそのとき泣いた」と「私は、そのとき、泣いた」では読み方が違うはず。点や丸は書いた人の鼓動という。
 日本語を美しく書きたいものです。
posted by たくせん(謫仙) at 07:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「人と争うな、競うな、偉くなるな、出世するな・・・」
私の生きかたそのものと、いうよりも、そうありたいと生きていました。
会社の、上役は、全て、反対に生きろと訓えてくれました。
そして、停年とともに共に、己の考えと異なる社会に、2度ともどるまいして、今があります。
経済的には、退職金の食いつぶしですが、ある程度満ち足りています。
人は、完全に満ち足りることは無いので、まあまあは・・・
そんなことは、どうでもいいことですが、私の父親も、私とは違ったようです・・・
その反発で、生きてきた・・・
それに違いがないようです。
と、いうことは、「父親はありがたきかな・・・」
でも、私という、父親を持った、私の息子たちは・・・
干渉はしません。
「人と争うな・・・」は
モットーのひとつでしたから・・・
Posted by オコジョ at 2007年03月23日 20:49
わたしも、そうありたいと願う心と、現実に生きていかなければならない心と、せめぎ合いました。
わたしの会社は退職金はほとんどない会社で、それさえ経営者は誤魔化そうとしました。こちらが弁護士をたてて争うぞという姿勢を示すと、全額払ってくれましたね。
それまでの退職者は、弁護士に払う費用より少ない金額を争うより、新しい人生に力を注いで…、ということのようです。
そういう不正に対しては、費用を無視して争うつもりでした。だから標記とは矛盾していますが、基本は争いたくない、でした。
親の背中を見て育つ。親のようにばかりではなくて、親のような人間にはなるまい、ということも親を見て思うこと。反面教師ですね。
若い世代も、親の世代をみて、同じように考えるのでしょう。
Posted by たくせん at 2007年03月24日 06:36
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