小野不由美 新潮社 2013.7.1
2013.7.21記
この本は十二国記シリーズの12年ぶりの新刊である。
わたしは2008〜2009年にかけてシリーズをまとめて読んだので、12年ぶりの実感はないが、古くからのファンは待ち遠しかったであろう。
王や麒麟の話ではなく、一官吏の希望を書いた4編の短編集である。
表題作は、陽子が慶国に新王として登極したときの、即位の礼で行われる「大射(たいしゃ)」の話。大射とは鵲(かささぎ)に見立てた陶製の的を射る儀式。自分の希望を託して、その的を作る男の苦悩。
「落照の獄」は、衰えていく柳国で、いわゆる極悪人が誕生した。これは国の衰えを意味するが、民はこれまで途絶えていた死刑を要求する。
死刑がなかった国で死刑にすれば、国の衰えを加速させる。これがこの世界の摂理だ。一度死刑にすると、同じような悪人が出れば死刑にすることになろう。しかも防犯の効果はない。しかし、死刑にしなければ、国の衰えを止めることができるのか。民の要求に応えられないことも衰えを加速させないか。そうして担当官が悩み果てる。
「青条の蘭」は、山のブナが枯れていく。これを防ぐために、標仲は何年もかかって調べ、青条の蘭が防ぐことを知り、王宮に届けようとする。結局途中で倒れて、庶民に託すことになる。
国土が荒廃していくのに、ブナの枯れ木(石化する)で金儲けができると喜ぶ人がいる。
福島の原発事故を思わせた。
「風信」では荒れた国で、暦作りをしている、一見浮き世離れをした男たち。どんなに荒れた国でも、農民は食糧を作らねばならない。そのためにも暦は必要なのだ。燕の雛が増えていることで、復興する未来を予測する。
四編全て、己の役割を全うすべく煩悶し苦しんで一途に生きる男を描く。
驚くのはディテールの描写で納得させられること。それが緊張感をもたらす。
わたしの好きな金庸小説では、「大勢の男が山の中で武術の訓練をしていますが、どうして生活しているのですか」「それは訊かない約束です」
ことが起こればそれはあちこちに波及する。十二国記では、その波及を考えて登場人物が苦悩しているのだ。訊かない約束などなく、それこそ語りたいところ。
十二国という大きな嘘を成り立たせるのは、ディテールの描写で納得させることなのだ。