…… 写真が多く長くなるが、分けずに1回にする。……
島根県大田(おおだ)市といえば、石見銀山遺跡のあるところとして有名であるが、囲碁ファンは、本因坊道策の生家があるところとして知る人ぞ知る。
道策の生家は普通(?)の民家なので、もちろん非公開である。そこで生活をしている方がいるのだ。
今回は、プロ棋士(小林千寿師)とそのアマの弟子たち一行19名で、しかも小林千寿師の個人的な伝もあり、事前に連絡をとって見学させていただいた。
小さな橋を渡り、自動車がやっと通れるような細い道を歩いて行く。橋の脇には「津波云々」の注意書きがある。そのことから判るように海のすぐ近くだ。
突き当たりが道策生家。
長屋門を構えていることから、かなりの家柄であることが判る(庄屋であった)。
ただし長屋門という説明はないので、正しくはどうか。
門を内側から。
門を入るとまず庭に驚く。
立派な家だが、現在の家は幕末のころに建て替えてあり、道策当時の家ではない。徳川末期(約160年前という説を見つけたが正しいか)なので、そっくりマネをするという考え方があったか。多少変更があるかも知れない。
玄関前。
頭上の木組みも立派なもの。
遺品。碁笥などかなり傷んでいる。
遺品の揃った一画の壁面。
出入口の石畳も風情がある。
折檻の井戸と伝わる。道策は七歳の時碁を習い始めた。道策の覚えが悪いとここで母に井戸水を浴びせられたとか。今ならまだ小学校入学前か。厳しい〜。
空のスズメバチの巣。巣は1年限り。前に巣があったと思える跡がいくつか。
生家に向かって右手の、小高い尾根に墓所がある。
墓所の近くに碑が並んでいる一画がある。
けっこう広い。
段の上に三基。
左は二世井上因碩。中央は道策。右は山ア善右衛門宗久。道策は宗久の孫になる。
二世井上因碩(道砂因碩)は道策の弟である。坊門(本因坊家の弟子)だが、井上家の家督を継ぐ。(のちに家系の書き替えがあり、三世とされる)
井上家では当主は代々因碩をなのる。後の人は、区別するために坊門の時の道砂を付けて道砂因碩といった。
山ア家からは九世井上因碩(因砂因碩)(十世とされる)も出ている。
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碑が傷んできたので新しく作ったという。
古い碑も脇にある。因碩の碑は表面が剥がれている。
碑の並んだ一画の少し奥に、墓所がある。中に入ってはいけない。
墓所の辺りから海はすぐ下に見える。
出入り口の前で記念撮影。
そして松江に向かった。
素敵な庭、そして歴史のある建物・・・
出雲大社もいいのでしょうが、このお屋敷も素敵ですね。
海も日本海らしさを感じますね。
建物との素敵なマッチングのせいでしょうか・・・
現在は普通の人が住む普通の家なので、ここに載せた写真も、タイトル戦があったときプロ棋士が訪問したとかで、一応写真として公開されているような写真ばかりです。
これだけのために出雲からわざわざ大田市まで行く。囲碁ファンというより囲碁プレーヤーたちでした。