大田から松江に向かう。この日花火大会があり、混雑が予定されたが、あまり遅れずに着いた。
大荷物をあるホテルにまとめて預けた。わたしは中に入らず、バスのそばで待っていた。バスで夕食を用意しているホテルに向かう。
わたしたち数人は先に入り3テーブルのうち1テーブルに陣取り、まだ用意ができていないので、「緊急にビールを」頼んだ。ビールを飲みながら夕食を待つつもりでもあるが、暑さでぐったりし、すぐにもビールを飲みたかったのだ。しかしなかなか出てこない。みんなが揃って夕食の用意ができるころ、ようやくビールが出てきた。「緊急の意味が判っていない」なんてぼやく人も。
夕食が終わると別室で碁会。途中で花火を見に行く人もいた。子供教室の保護者には碁を知らない人もいる。
9時ごろ流れ解散。わたしはひとりで歩いて大荷物を預けたホテルに向かう。ところが2階のフロントで訊くと「預かっていない」という。見渡しても荷物がない。さあ困った。どんな預け方をしたのだろう。ホテルの人に黙って……、まさか。
しばらく話していたら、「渡り廊下の向こうにもあるのでそちらで訊いてみたら」と言われそちらに向かう。途中の少し広いところに荷物がまとめてあった。
それを曳いて宿泊するホテルに行く。
翌日は朝9時に碁会の場所(前日と同じ場所)に集合。
宍道湖と中海を繋ぐ大橋川を渡る。
9時から12時まで碁会。我々のために設定して呉れたのだった。
午後は自由観光。わたしたち有志(千寿会メンバー)はまず松江歴史館へ行く。お堀端を歩いていると、堀には観光舟が通る。
松江歴史館は武家屋敷を思わせる外観。
松江歴史館入り口
松江城の隣であり、
松江の旅はここから始まる!
これは歴史館パンフのアオリだ。
展示もいいが、茶室からの庭園の眺めがいい。茶菓も美味しい。ここで千住会メンバー7人が集まった。
と書いたが、なんと庭園の写真がない。ここを出て松江城に向かう。
北惣門橋。登城の第一歩。
北惣門橋から。突き当たり右が大手門。
「二の丸下の段」の跡。
天守閣向かう。
天守閣は堂々としている。手前は本丸跡。
関ヶ原の戦いの後で、堀尾吉晴が受領し築城した。24万石。
のちに松平直政(家康の孫)が受領し、子孫が受け継ぎ幕末に至る。18万6千石。それゆえ五層の天守が守られた。
最上階は望楼式で、眺めがいい。風も強かった。
松江歴史館を見下ろす。
本丸(入り口)方向。
松江城は昭和10年に国宝になったが、のちに不用意に改修してしまったため、重要文化財に格下げされている。
天守閣を下りた。ここで皆の希望が分かれたためバラバラになる。
北の門の方へ向かう。別角度の天守閣。
北の門を外側から。
堀沿いの道を行く。
城山稲荷社
小泉八雲が好きだったという門の狐。今では門には別な狐が置かれている。
城を出る。
城の西側の堀、両側に緑が濃い。
何と言う旅のはじまりでしょう。
でも碁を楽しまれ、
茶室や天守閣や城下町の風景の中で、素敵な時間を過ごされたのですね。
続編も楽しみです!
旅の間、ずっと猛暑でした。
だから、行動の割には疲れが大きかったンですね。こどもたちは元気でしたが、大人は弱い(^。^)。
ホテルのボーイも忙しかったので、一緒にと思ったのでしょうね。
荷物のことは今でも不思議です。犯罪の少ないところとはいえ、小さなホテルなのにホテルの人が知らないとは。理由が判ってみると、「そうだったのか」と言うことになると思いますが。