2020.6.6 加筆
定方晟 講談社 昭和48年
「倶舎論」の須弥山(シュミセン)世界を解説している。宗教書ではないので、わたしのような素人にも判りやすい。
1 人間は宇宙をどうとらえたか
古代社会では様々な世界観が考え出された。
下の図はわたし(謫仙)がこの本を元にして書いてみた図である。
まずこの地上世界の形だ。図の比率は不正確だが、イメージだけ。
風輪の上に水輪が乗り、同じ太さの金輪がその上に乗る。その金輪上の表面に須弥山をはじめとする地上がある。
金輪の一番下が金輪際である。落語などで、「金輪際いたしません」などと謝るあの金輪際である。
(以下数字の単位はすべて由旬)
さて、問題は円周の10の59乗である。原典は無数。これは無限大の意味ではなく、具体的な大きさを現す。
1光年が約10の13乗キロ(10兆キロ)であることを思えば、宇宙の中に入りきれないことが判る。実にバランスが悪い。おそらく考えた人は、具体的な形をイメージせず、やたらに大きい数字を並べたに違いない。
金輪の上の表面は、たらいのような形をしている。
中心に須弥山(しゅみせん)があり、その周りを七重の山が塀のように囲み、外側の海は塩水で、円形の鉄囲山(てっちせん)がその縁である。断面図で見ると、水面上はどの山も正方形である。
図は大きさのバランスを無視している。
南の贍部洲(せんぶしゅう、閻浮提(えんぶだい)ともいう)が、我々の住む世界である。
中心付近に雪山(ヒマラヤ山脈)がある。言うまでもなく、インドの形がモデルであることが判る。三角形に近い。
大きさは三つの長辺がそれぞれ2千由旬である。これによって諸説ある由旬の長さが推定できる。
2 仏教の地獄と天界
地獄は「ナラカ」あるいは「奈落」といわれている。
まず八熱地獄が贍部洲の下にある。あるというが、これは贍部洲よりはるかに大きい。
一番下の無間地獄は特に大きく、二万由旬の立方体である。
矛盾もあるようだが、ともかく地獄の説明はバカバカしいほどに詳しい。これは仏教ばかりではない。あとは略して、天界の話にしよう。
上の図から判るように、須弥山は8万由旬の立方体を二つ重ねた形をしている。そして、下半分は水面下にある。水面上の部分を詳しく見る。
仏教では、世界はこのように考えられていた。今から考えるとお笑いだが、インドではすべてこのように、数字的に整然と考える習慣があった。たとえば苦しみは四苦八苦と言うように。口伝によって伝えるときに、伝えやすいという利点がある。
次は天界である。天は魔法の絨毯のように、須弥山の真上に浮かんでいる。そしてそこに住む有情も天という。◯◯天と言ったとき、場所か有情(神)か判断できなければ、意味を取り違えることがある。
須弥山の頂上も天である。そこには帝釈天などが住んでいる。
夜摩天は、つまり閻魔である。ここは死者の国であった。だが、後に閻魔は地下の国に行く(左遷かな)。死者の国が地下に移ったと考えるのか。
有頂天まで行かなければ有頂天にはなれない。地上にいながら有頂天になる人がいるがめでたい事だ。(^_^)。
こんな知識は、「へエー」で終わってしまうが、本を読んでいるときに必要になることがある。たとえば「百億の昼と千億の夜」など。参考にしていただければ幸いである。
もう一つ大事な話がある。他化自在天から三層上に、大梵天があり、風輪から大梵天までを、小世界という。
小世界が千個集まって小千世界になる。(別名千世界)
小千世界が千個で中千世界(別名二千世界)
中千世界が千個集まって大千世界となる。(別名三千世界)
有頂天の広さは大千世界と同じである。
俗謡に
♪三千世界の烏を殺し ぬしと朝寝がしてみたい
という、あの三千世界である。
風輪が1000×1000×1000個集まるのは、どのくらいの広さであろうか。想像もつかぬ。
まるでパソコンの説明の数字を見るように二進法の世界であった。なお、数字の「0」を発見したのもインドであるといわれている。
これでもかなり説明を端折っているのだ。説明の大きさの中に入るのかどうか、考えるのも面倒になってきた。
3 極大の世界と極微の世界
4 仏教宇宙観の底を流れるもの
5 西方浄土の思想
6 地獄はどう伝えられたか
7 仏教の宇宙観と現代
など省略するが、解脱について一言触れておく。
輪廻という思想がインドにはある。人は死んでも生まれ変わって、生きていく。それは人に生まれるとは限らない。虫けらに産まれ、踏み潰され、他の虫や鳥に食われたりする。そうして様々な生を無限に繰り返すことを意味する。この世界も消滅生成を繰り返している。それは恐ろしいことであった。そこから逃れるのが解脱である。
輪廻の思想を持たない日本人は、すでに解脱している。
最近キリスト教が、人を救うと称しているが、その前に、人は罪があって罰を受けるという考え方のない日本人には、救われる必要性がない(^。^))。そこへ無理矢理キリスト教徒のやった罪を、人類全体に押しつけて、そこから救うという。
輪廻の外にいる人を輪廻から解脱させる。罪のない人を罪から救う。日本に宗教は根付かないわけだ。だから他人の宗教心を理解できない、ともいえる。そうではなく、日本には、自分でも気づかないそれなりの宗教心がある、と言う説もある。