王銘琬(おう・めいえん)九段が、メイエン事件簿の「地とはなんだろう」(第50話・第51話)で、地をコンピューターに理解させるには、などという、地に関する興味深い話を展開していた。(注:現在このHPは無くなってしまった。)
この中でわたしが特に注目したのは戦前の中国ルールだ。
2011年5月に 中国の碁のルールの変遷 を書いたが、そう書いてあるコンテンツがあったという報告で、内容の検証はしていない。その中に次のような文を、多少の疑問を感じながら書いた。
>この中で、180.5を基準とするのは、清末と思って今まで書いていたのだが、三の明代にはもうあったという。石+地を数えるようになったのは、近年と思っていたが清末だという。
戦後の棋士(高川 格)の文に、中国ルールに言及していて、「切り賃」が出てきた。それで切り賃がなくなったのは近年だと思っていたのだった。おそらく清末に完全に切り替わったのではなく、実際には戦後まで、切り賃のあるルールが主流だったのではないか。
王銘琬九段は、今のルールは戦後1966年に決められたルールと言った。(この行は2018.12.9追記)
戦前の台湾では填空法(日本ルール)と数子法(中国ルール)が同時に行われていた。
しかも、台湾でのルールは「数子法」でも、最後に黒が打つと黒から一目引き、結果は日本ルールと同じになったという。
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2015年2月16日 追記
2月7日に千寿会が開かれた。講師として王銘琬九段が来てくれた。
わたしは用意しておいた、今までの数々の疑問を訊いてみた。
上の台湾での、「最後に黒が打つと黒から一目引く」数子法は、ご当地ルールではなく、昔の一般的なルールだったと言う。
中国ルールと日本ルールの差はいろいろいわれているが、「最後に黒が打つと黒から一目引く」ことは、王銘琬九段が書くまで見た聞いたことがなかった。それなら両ルールの混在が許されるわけだ。
このことは昔の中国ルールと日本ルールを比較する時において、是非付け加えて欲しい説明である。数え方の差のもっとも判りやすい説明であるからだ。
さて、そのことが判ってみると、今までの多くの疑問が解決するではないか。
その他のこともあり、下記の記事には訂正を入れておいた。
還珠姫の碁
還珠格格の碁
天龍八部の碁
中国の碁のルールの変遷
それからなぜ日本ルールから中国ルールに変わったのかについては、「中国の碁のルールの変遷」の内容と同じ説である。
元明のころ民間では賭け碁が盛んになる。ハマを巡って問題が起きやすい。そのためはっきりしたルールを求めた。その結果数子法ができたのではないか。“廟堂君子”は填空法(日本ルール)で打っていても、“市井小民”は数子法(中国ルール)で打っていた。
それが中国では一般化したわけだ。そのせいか、今では中国では立会人が整地して数える。
日本ではそれぞれが相手の地を整地して数える。それはお互いがごまかさないことを前提としたルールである。
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戦前のルールが本当に日本ルールと同じか、確認してみた。五路盤なので25目、半数は12.5である。
白10で終局した場合。
填空法では、黒地10目、白地5目。差は5目である。
数子法では、黒石5+黒地10目=15目。白石5+白地5目=10目。差は5目で2.5子に相当する。
現在の計算方法では、「15−12.5=2.5子」、で問題ない。
黒11で終局した場合。
填空法では、黒地9目、白地5目。差は4目である。
数子法では、黒石6+黒地9目−1(黒で打ち終えたので)=14目。白石5+白地5=10目。差は4目で2子相当である。
「14−12.5=1.5子」、という現在の計算法では同じにならない。
「黒15−12.5−0.5子(1目相当)=2子」と計算することになる。
数子法が出現したいきさつ(填空法で計算されていたときに、数子法が出現した)から、白黒の差で計算したと思われる。
これ以外にも、切り賃とか、セキのダメとかの問題もあるが、それも含めて具体的な方法は枝葉末節。考慮の外。基本的な考え方と還珠格格の疑問が解決すればよい。