2007年04月05日

百億の昼と千億の夜

     光瀬龍   ハヤカワ文庫   1973.4
 
 わたしはこの本によって、SFに目覚めた。
 それまでも古典的な「冒険科学小説」は読んでいたが、この本はその壁を打ち破った。
          hyakuokunohiru.jpg
 日本のSFは発足当時からこれだけレベルの高い小説を提供していたのだ。
 野田昌宏さんはアメリカの初期SFを収集しているが、「ほとんどは屑だ!」と喝破した。それがレベルが高くなって読むのに耐えるようになった頃、日本のSFが始まった。そのため、助走なしにいきなりハイレベルの小説が書かれた。
 この本はその象徴と思っている。
 いま再読してみると、時代を映しているところがいくつかある。
 なお、著者は学校の理科の教師であり、科学的知識は素人ではない。
 漢語を仮名書きにしているところがある。当時、漢字制限が強く、その範囲外の漢字は使いにくかったのか。また、できる限り和語はひらがなにしている。
 コンピューターが登場するが、この記録はロッカーにパンチカードで収納されている。また、カタカナ書きである。当時は平仮名や漢字は表現できなかった。その影響か、コンピューターの言葉はカタカナで表現されることが多かった。
 ちなみにわたしが初めてコンピューターに触れたときは、入力はパンチカードであった。紙テープなども使われていた。記憶はオープンリールの磁気テープが多かったか。
 ☆「兜卒天は夜摩天より16万由旬の上層に位置する。千六百億光年とでも言おうか。」
 1由旬が100万光年と説明している。これは誇張しすぎ。
 現在では由旬がある程度判っていて、約7キロメートルである。(須弥山と極楽)そして須弥山の高さが8万由旬である。

 さて、物語は天地創造から始まる。
 寄せてはかえし
 寄せてはかえし
 かえしては寄せる波の下で、生命は誕生し育っていった。
 そして人が誕生し、文明が発生する。
 プラトンがアトランティス王国の記録を見る。
 その都はオリハルコンで飾られていた。そして、
 大西洋に没したといわれるその王国の最後の司政官オリオナエこそプラトンであった。
 その王アトラス7世は惑星開発委員会の計画に沿って、王国の引っ越しを命ずる。だがそれは不可能であり、王国は滅亡する。

 釈迦族の王子シッタルタは4人のバラモン僧(目犍連・須菩提・摩訶迦葉・富楼那)に導かれ出家した。
富楼那(ふるな)が出家に反対する老ウッダカに説明する。
「梵天はこの長大無辺な宇宙をその手に観照する。万物流転の形相はすべて天なるものの意志、すなわち梵天王の意志である」
 そして、兜卒天に住む梵天に会いに行く。ここでは弥勒菩薩が五十六億七千万年後に衆生を救うために修行をしているはずであった。
 だがそこは荒れていてとても浄土といえるところではなかった。原因は阿修羅との戦いであった。
 シッタルタは阿修羅王との会見を望み、会見することになる。
 シッタルタと阿修羅王を逢わせたのは、世界を滅ぼそうとする四人の波羅門僧の失策であった。

 わたしはこの会見シーンをもう一度読みたくて、この本を買ったといえよう。

「悉達多(しっだるた)太子か」
 はためく極光を背景に一人の少女が立っていた。
「阿修羅(あしゅら)王か」
 少女は濃い小麦色の肌に、やや紫色をおびた褐色の髪を、頭のいただきに束ね、小さな髪飾りでほつれ毛をおさえていた。
「そうだ」
 少年と呼んだほうがむしろふさわしい引きしまった精悍な肉づきと、それに似つかわしい澄んだ、黒いややきついまなざしが、太子の心をとらえた。
「阿修羅王に問いたい」
 少女は、ふとかすかに眉をひそめた。その、あどけない面だちに、浮かんだものは、ひどくひたむきな心の働きと、それにふれたすべての人々を亡ぼしてしまうかと思われるようなくらい情熱だった。
「波羅門(ばらもん)の説くところ阿修羅王は宿業によって、この兜卒(とそつ)天浄土に攻め入り、帝釈天の軍勢とすでに四億年の永きにわたって戦っていると聞いた」
「そのとおりだ」少女は唄うようにいった。
「阿修羅王よ」
 少女はふたたびかすかに眉をひそめた。見入るときにわずかに眉をひそめるのが、この美しい少女のくせらしかった。少女はだまって首にかけた瓔珞(ようらく)をもてあそんだ。それは何かの骨片を銀の糸でつなぎ結んだものだった。小さな乾いた音が、木鈴の鳴るように太子の耳にとどいた。
「なに故に梵天(ぼんてん)王のしろしめすこの天上界に攻め入ったのか。そののぞむところは何か。そして阿修羅王よ。王はどこからやってきたのだ。王の棲む世界はいずこにあるのだ」
 太子は砂の上に腰をおろし、上体を真っすぐにのばして少女をにらみつけた。
 少女は少し困ったように片方のくちびるの端に微笑を浮かべた。小さなくちびるから真白な糸切歯がのぞいた。
「阿修羅王よ」
「悉達多太子!」
 とつぜん、少女の声は天地の声になった。
 どっと吹きつけてくるはげしい風の中で、少女の髪がほのほのようになびいた。少女の怒りと悲しみが目のくらむようなすさまじい火花となって散った。
「太子! 弥勒に会え! 五十六億七千万年ののちに、お前たちを救うであろうといわれるその弥勒に会え!」
 太子は思わず砂の上に身を投げた。合掌する手が自分でもぶざまなほどふるえた。


この場面は、興福寺の阿修羅像を彷彿させる。
対話はまだ続く。
この世界の荒廃は戦争が原因ではない。戦争は、この世界はなぜ荒廃するのかという、危機に対する梵天の無策に対する攻撃であった。

「梵天王は今こそ転輪王の意図を知ることだ」
・・・
「梵天王があなたの言葉を聞こうとしなかったわけは?」
「わからぬ。これだけは言えると思う」
「思考コントロールを受けている、と」
「そうだ。初めてあなたと意見が一致したようだ」
・・・


 そして弥勒に会いに行くのたが、それは単なる像であった。
 ここに救いがあると勝手に信じた人が弥勒の救いを人に語ったのであろう、という。

 エレサレムではイエスが処刑されようとしていた。イエスのうさんくささを見抜いたユダの告発によるのだったが、処刑後、暗闇となりイエスの遺体は行方不明になる。
 そして…
 3905年
 砂漠と化したトーキョーに、シッタータの記憶を持つ者・オリオナエの記憶を持つ者・アシュラの記憶を持つ者、三者が集まった。
 そこでイエスなどの地球文明を破滅させた者たちの襲撃をうける。
 この後、三人は、ナザレのイエスを追い惑星開発委員会のあるはずのアスタータ50へ行くが、そこはすでに滅んでいた。そこで弥勒=大天使ミカエル=アトラスと戦うことになる。
 そこを抜け、転輪聖王のいるアンドロメダ星雲に行く。復元できたのはアシュラ王だけであった。
 ここから世界を支配していた転輪聖王の組織はすでに崩壊していた。
 二千億光年の宇宙全体が崩壊しようとしていた。
 アシュラ王はたった一人で残される。

さて、前に書いたこと。
「兜卒天は夜摩天より16万由旬の上層に位置する。千六百億光年とでも言おうか。」
について。
 この広大な世界を外から管理する転輪聖王がいるところが、230万光年の距離にあるアンドロメダ星雲というのは。そして仮に千六百億光年としても、下に書いたような、はるかに大きな世界が二千億光年の宇宙に入ることはできない。
 というわけで、1由旬が100万光年とするのは無理がある。1由旬約7キロメートルでよかった。
 なお、結論が判りにくいが、仏教の宇宙論ではこの世界そのものが、滅んでは再生を繰り返している。その一回分(1大劫)の物語と考えたい。

参考
地上〜須弥山頂上        8万由旬
地上〜兜卒天         32万由旬
地上〜色究竟天 1677億7216万由旬


 天とは場所のことと同時にそこに住む者も表します。
 色究竟天は有頂天ともいいます。なかなか有頂天にはなれませんハイ。
 最後の数字はパソコンの説明で見たことがあるような……。いま、インドのソフト技術が力を得ているが、こんな昔から二進法の数字の考え方を操っていたんだな、と妙に感心する。
posted by たくせん(謫仙) at 08:30| Comment(47) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この本を読んだのは今から三十数年前、まだ二十台中ごろでしたか?当時SF大好き人間であった私はよく書店の早川、創元エリアをうろついてました。本を買ったのはタイトルにひかれて。予備知識など何も無かったと記憶しております。読み始めて進むうちにそのスケールの大きさ、詩的、哲学的な表現、各所に見られる近代、未来の科学知識など単にSFというにはあまりにすごく、つまり取り付かれました。本好きで今までおそらく数千冊、歳を重ねジャンルは広がり今はあまりSFは読んでませんが、感銘を受け読み直した本はこの本を含めても数冊、繰り返し読んだ本は本書だけです。先日書店に入ったらお勧めコーナーにこの本がありました。私が買った当時のサイケ?な表紙ではなく、萩尾 望都さんの少女阿修羅王の凛々しい姿がなんとも魅力的なものでした。表紙だけ見て買う人いるんでは?すでにぼろぼろになって女房に始末されてしまったのでまた買おうかなど思ってます。私に言わせれば空前絶後の日本SF(幻想SFといった方いいかな)最高傑作では。帯にも日本SFの金字塔とか書いてああリました。科学の進歩は当時では想像できないほど進んでしまったものもあり、今ではあれ?と思うところもありますが、ストーリーには何の影響も無いように思えます。いくらでも書けそうなのでとりあえずこのへんで。
Posted by 高橋 秀光 at 2011年04月13日 08:00
高橋秀光さん
この本はSF好きには不朽の名作といえますよね。
萩尾望都さんの劇画になったときも衝撃でした。当時、少年マンガは線が太く、少女マンガは線が細かった。内容ではなくペンのラインの太さの話です。
こんな細い線でこの物語を表現できるのか。
それが、物語の意味を判っている人が描いたことが判る解釈で、阿修羅王の絵はまさに興福寺の阿修羅像でした。もちろん小説に少女のようだと書いてありますので当然なんですが、それまでの阿修羅像は不動明王などの明王像のように表現されていたことはご存知と思います。
それが少女。表紙だけでも欲しくなりそう。

あの大戦をえて、日本は天地がひっくり返るほどの、体制の変更がありました。著者がこの本を書いた当時は、まだその記憶が新しかったことでしょう。だから善悪を超越するというかひっくり返すような物語も、頭で考えただではなく、実体験もあったのではないかと思われます。
わたしが最初に読んだこの本は、友人の持っていた単行本でした。この本を読んでSF小説に目覚めた記憶があります。
当時は、星新一・小松左京・平井和正・豊田有恒・山田正紀なども夢中で読んでいました。それらがわたしの書庫に載っていないのは、ワープロもない時代で、感想などを書いていなかったからです。本は20年以上前に妹のところに持って行ってしまいましたので、今でもあるかどうか。わたしの手元にはありません。その後は図書館だよりになりました。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年04月13日 09:18
謫仙さん、あなたは私と同年代でしょうか?私は27年生まれ。そろそろ一線から引退といったところです。『百億・・・』を検索すると漫画をみて原作と言う人結構多いですね。私は逆で当時会社のぼろ寮にいたのですが二つ下の子の部屋にいったらチャンピオンを読んでいて、ちょうどページがそこだったんです。何気なくのぞき、あれ?少年誌なのに少女漫画みたいな絵の漫画だ、なんて思って不思議に思い、彼が読み終ってから見せてもらいました。タイトルをみてびっくり?悉達多が阿修羅王に会ってる場面でした。部屋を見回すと過去のチャンピオンが捨てずにとってあるので、部屋に居座って『百億・・』のところだけ読んだ記憶があります。漫画のストーリーはほぼ原作にに沿ってましたが、萩尾さん独自のアレンジがありそれはそれで一つの作品といってもよいような・・つまり漫画の方は私はリアルタイムで読むことができました。それにしても萩尾さんの阿修羅王は魅力的でした。それが今回の文庫の表紙になってますから、買いたくなる人多いのでは。その中の何%の人は中身にあまり期待もせず、私のように読んで取りつかれてしまう人もいるかも。それにしても計算が合っていれば萩尾さんは当時まだ20代、天才なんですね。
Posted by 高橋 秀光 at 2011年04月14日 07:49
高橋秀光さん
わたしも戦後の生まれですが、もう年金を頂いています。
そうそう、あの細い線は少女漫画みたいで、初めて見たときは違和感がありました。
萩尾さんは当時二十代でしたか、計算すればそうなりますが、いわれてみると驚きです。萩尾望都ばかりでなく高橋留美子とか杉浦日向子など、若いときから驚くほどの専門知識を持っていた女性がいて、まさに天才。
実はわたしは劇画の方は全部読んだわけではないので、劇画のイメージはいまひとつなんです。
http://takusen2.seesaa.net/article/49037689.html書庫−宇宙叙事詩(上・下)
このイメージのほうがよく判ります。この中の「廃墟の旅人」が阿修羅の話なんです。
この本など買っておきたかったのに、図書館で見たばかりに、そのままになってしまいました。もう一度読もうとして図書館で探したところ、文庫本になって図書館にありました。これもお勧めですけど、本屋にはありませんので難しい。もっとも再版が出ている可能性もありますが、わたしはその情報には疎いので判りません。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年04月15日 19:01
やはり『百億・・』買っちゃいました。少しずつ読んでます。じっくり。なぜってもったいないような気がして。ご紹介いただいた『宇宙叙事詩』は知りませんでした。是非見つけたいですね。読んで見るとさすがに科学者かと思われるような描写ですね。地球はそばを通る巨大な彗星とか、あるいは恒星が太陽の一部を引っ張り出してそれが固まって惑星になった。・・・潮汐説・・あの本が書かれる本の少し前まで主流であったと思われます。塵が集まり、固まって太陽と、惑星はほぼ同時にできたという・・・隕石説・・は科学に詳しい者でないと当時取り入れることすらできなかったのでは。小学校当時(60年代前半)先生でも地球は太陽から生まれたなんて教えてましたから。書かれていることはファンタジーなそれなのに、やけにリアルなのはそのせいなんでしょうか。いまプラトンがオリオナエとなってアトランチスに飛んだところです。先がどう展開するのかわかっているんですがでもわくわくしてきますね。
Posted by 高橋 秀光 at 2011年04月18日 07:36
高橋 秀光さん
著者は理科の先生と言いましたが、そればかりでなく、ファーブル昆虫記のような本も何冊か出しています。
「ロン先生の虫眼鏡」には、昆虫ばかりでなく、鳥や魚の話もありました。
わたしが読んだのは、もう20年以上前なので詳しい話はできませんが、感動しました。
結局それらは図書館から借りて読んだので、持っているのは『百億・・』だけです。
宇宙年代記もありましたね。
こう書いていると、次々に思い出します。(^。^))
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年04月18日 19:48
 『ロン先生の虫眼鏡』は確かなんかの少年誌に連載されてましたよね。なるほど理科の先生らしい表現でした。時代物も多く書かれていましたね。といっても時代SFですか。時間局という言葉も彼独自のものではないでしょうか。でもやはり本命はSFでしょうか。その中でも『百億・・』は傑出しているとおもいます。こんなこと考えたことありませんか?時間、空間的に他のSFを圧倒してしかも違和感がない、文面だって名文?じゃ世界的に・・でも決定的にそうならないのはキリストが悪側でユダが善側、これはキリスト教世界ではまず受け入れられるわけない。おそらく悪書の筆頭・・なんて・・どうでしょう?
Posted by 高橋 秀光 at 2011年04月19日 07:30
高橋 秀光さん
ロン先生の虫眼鏡はマンガにもなりました(^。^)。

キリスト教世界にはおそらく受け入れられないと思いますねえ。
仏教世界では、四大弟子や弥勒や帝釈天などの扱いが逆転していても、それもまた一つの考え方で、受け入れられます(かな)。
他の小説の基調もそんな感じがします。
宗教的にもわたしは影響を受けました。もちろん影響を受ける素地はあったのでしょう。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年04月20日 08:59
 先日私が所属する部の飲み会がありまして、そのとき隣にまだ20代半ばの女の子が座り、前には30代はじめの女の子が座りました。なんかのきっかけで「高橋さんの青春てなんでしたか・・・」なんてなんとも漠然とした質問を受け、ちょうど上着のポケットに入っていた『百億・・』を出し、「これも青春の一部・・・」といったら「何ですかこれ?」でしたまあ当然といえば当然。そこでカバーををはずし、表紙を見せると、「あっきれい!誰ですかこれ?」「萩尾 望都 知らない?」そこにいた3〜4人の男女も首をかしげるのみ。口の悪い男どもは「高橋さんこんな趣味あったんですか?きもっ。」まこんな反応です。でも今の若者の中にこの本に見せられる者がきっと入りと思います。どう思われますか?
Posted by 高橋 秀光 at 2011年04月25日 07:34
いま映像化で読書人口が減っている。それも急激な減少らしい。
はっきり言って、「百億…」は難しすぎる、と思います。でも読む人はわたし以上に読んでいるようです。僅かの人数では誰も知らないというのが普通ではないかと思いますね。
逆に思うのですが、わたしたちの世代でも知っている人は案外少ないものですよ。特にSFは「荒唐無稽でバカバカしい」というのが普通でした。その点では今の方が理解されているような気がします。
わたしがいま夢中になっている武侠小説もSFで、熱中する人は熱中しますが、その外側は冷めていて、狭い世界です。
そのように一部の人を夢中にさせる小説、「百億…」はそんな小説のはしりではないでしょうか。だから若い人でも一部の人は熱狂的に支持しても、大方は無視するどころか、他の小説も読まない、そんな状況ではないかと思います。
わたしはそのような話を若い人とはしたことがほとんどないので、一般的な印象論しかいえません。
機会があったら聞いてみたいとは思いますが、わたしの世界は、武侠小説・映像に夢中の人とか囲碁世界。一般論には向かない人たちばかりなんですね。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年04月25日 11:54
 クラークの『地球幼年期の終わり』もある日突然悪魔に似た宇宙人が地球に降り立って、最初は平和友好的に接して・・でも目的は新人類?の誕生をうながし、同時に起こる惑星消滅を・・・光瀬氏は本の後書きで私の影響された本の一冊にこれを上げています。なんとも救いのない結末でした。ハリウッドが映画化しようとしてかなり具体的なところまで行ったみたいでしたが、頓挫?これはアメリカ人が無類のハッピーエンド好きに原因の一つがあるのではなんて・・・何しろアメリカ版『フランダースの犬』はネロが間一髪助かって「良かった良かった・・」で終わるそうですからちょっと信じられませんが?ととろで『百億・・・』は地球どころか、太陽系・・
銀河系・・いや宇宙全体が滅びの対象となっているのですから、究極の滅亡、そこに救いの、希望のかけらもない・・でもなんとも魅力的・・キリスト悪玉もそうですが、この結末、憂いの極みとでも言いましょうか?特にアメリカ人には受け入れられないでしょうね。
Posted by 高橋  秀光 at 2011年04月27日 08:00
『地球幼年期の終わり』もそうですが、題名は忘れましたが、小松左京にも似たような小説がありました。進化したこどもたちが宇宙に飛び立ち、それを見送る地球人。というような…。
日本人には滅ぶのは当然という考え方があるので、抵抗感がありません。
西洋人、就中アメリカ人が、そうかどうか。わたしには判断できませんが、そうだろうなと思います。
宇宙人が同士か英語を話すのがどうも受け入れがたく…、わたしは翻訳物はあまり読んでいないので、何ともいえません。例えばファウンデーションなども滅びの話ですよね。でも全滅ではなく、体制が変わっても、民は生き延びる話。人類そのものが滅びる話は思い出せません。というより知りません。
ないのかなあ。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年04月27日 18:50
こんばんは。
 大変興味深くお二方の話を読ませていただいております。
 海外SFでは、人類の住む銀河同士がぶつかり合って消滅してしまうようなお話もあれば、人類そのものが神ではなくて宇宙人の創作物だというような話もあります。なので、人類が滅びる話も少数とはいえ存在するかと思います。ただ、少数派になってしまうのは、やはり宗教的な色合いが背景にどうしてもあるからかと僕も思います。
 「百億の昼と千億の夜」は、やはり若い世代での認知度は少ないですが、いい作品として名前だけは知られているかと思います。「アルジャーノンに花束を」のように名前だけ知られている、というレベルかも知れませんが、金字塔なのは間違いないと思います。
 菊地秀行さんなどの世代まではこの作品の影響を受けたと公言される方もいますし(彼のエイリアン黙示録という作品ではキリストが悪で、ユダが実は人類の味方でという話があり、あきらかにインスパイアされたと思われます)、けっこう根強いファンが多いのではと思います。
 
Posted by 樽井 at 2011年04月28日 23:30
樽井さん
海外SFといっても、必ずしもキリスト教世界ではないので、滅びの小説があってもおかしくないんですが、わたしの翻訳物の読書量があまりに少なく、判りかねていました。
少数派でも滅びの小説があるのは当然といえば当然なんですけど、あると判ると安心しますね(^_^)。
「百億の昼と千億の夜」が認知度は低くとも知られていれば、それなりに読まれていることでしょう。
読んだ人には影響は大きかったンですねえ。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年04月29日 07:03
何回やってもerrorなんで申し訳ありませんがテストです。
Posted by 高橋 秀光 at 2011年05月10日 08:28
 お久しぶりです。これ会社のPCなものですから、業務中は打てなくて。今朝文面かいて書き込もうとしたらerrorが出てしまいできませんでした。何を書こうとしたか、女房の悪口・・これはもう良いとして・・SFファンならどうしても避けられない・・と思うんですが・・クラークの『2001年宇宙の旅』この映画を見たのは高1、16歳の時でもう40年以上も前、でもなんだか意味がよくわからず、特に結末はまるっきり意味不明。ある日本屋さんをのぞくと、『スペースオデッセイ2001』というタイトルが視界の隅をよぎり、ただ2001という文字だけでその本を取り上げるとまさしく『2001年・・』の原作、早速立ち読み(高1のお小遣いではハードカバーはハードル高くて)でも高1の知識ではやはり意味不明。SF映画ただ一つの文部省特選映画はその難解さから興行が思うようにはいかなくてお蔵入り以後10年間リバイバル予定もありませんでした。今ではまさしくSF映画の金字塔、これより有名なSF映画はないでしょう・・かな?10年後熱いファンたちの熱い要望で要約リバイバル、このとき初回興行の何倍も入ったといいますからいかにすすんでいたか、、ちなみに10年後でもまったく見劣りしなかったですが・・MGMは当時のレート換算で制作費90億円をかけたそうですが、まさしくアメリカ映画のなせる業?当時日本映画といえば億の単位になれば超大作ではなかったかと思います。で・・後年『百億・・』を読んだときこの小説を完全映画化したらいくらかかるか、できたらいいなとつくづく思ったものです。百億円かければできるかな?なんて・・夢の夢のまた夢・・でしたね。今なら流行のCGは使わず特撮、実写でいくらかければ完全映画化できるでしょうね?たくせんさん、樽井さんもどう思われますか。
Posted by 高橋 秀光 at 2011年05月10日 18:36
高橋 秀光 さん
>何回やってもerror
おそらく、全角で認証コードを入れたと思われます。
わたし自身も初めのころはなかなか入らず焦りました。しかも謫仙という漢字を受け付けなかった。(^_^)。

『2001年宇宙の旅』はわたしも見ました。意味が判らないこともありました。評判だったのですが、世間ではどうかというと、それほどでもなかったような。
わたしに「百億…」を紹介してくれた友人に、この映画の解説をしてもらった覚えがあります。
当時は真空管からトランジスターに切り替わって間もないころでした。今のCPUが「中央演算装置」と言われたころ、メモリーの大きさも8Kとか16Kでした。それが未来はあの巨大な装置になるのか、と思って見ていたのですが、今では一個の部品です(^。^))。

>今ではまさしくSF映画の金字塔
わたしは映画には詳しくないのですが、これに勝る映画はないように思います。例えばスターウォーズは面白いけど質が違う。
「百億…」の映画化、考えただけでワクワクします。それだけの構想力のある監督がいるかどうか。いざやるとなると、出てくるのかな。
そのために専門の撮影所を作るくらいの気持ちがないと無理ですね。去年中国の「横店」に行ったのですが、大作を作ろうとすると、まず数十億円で専用の撮影所を作り、撮影しています。あとは観光施設として利用。映画にも使っています。
日本なら百億円で撮影所を作り…、夢ですねえ。いまは映画のもつ意味が変わっているように思えます。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年05月11日 09:29
 構想力のある監督、たくせんさんもやはりそう思われますか?まだ20代の終わりか30代初め、夢想というか妄想というか『百億・・』を映画化するにはしかも(超ウルトラ、スーパー、ハイパー自己中の妄想です)自分の思っているような映画化できる監督をどうするか・・まず名乗りを上げさせオーデション、残った10人ぐらいの監督に制作費3億円程度でテーマを与えて短編を作らせる。これはと思う人に製作を託す。出演者ももちろんオーデション、オリオエ、イエス、ユダはまあ既存の俳優さん、シッタータ、と阿修羅は特に阿修羅は素人から選出、体操とか、バレー、フィギュアスケートなんかの実力者なんていいかも、水泳は体格良すぎてダメとか、撮影はたくせんさんも言われたように東京ドームの2倍とか3倍とかの専用撮影所を造り、、でもこれは映画そのものの制作費には入れない・・などなど、どうですか?まさに妄想夢想でしょう。
Posted by 高橋 秀光 at 2011年05月11日 19:10
阿修羅役は可愛らしさのあるボーイッシュな女性、それでいて厳しい表情のできる人。芸能情報に暗いわたしには具体的に誰とはとても名が出てきません。(^。^)
撮影所は巨大な撮影所も必要ですが、タクラマカンとかサハラなどの実際の砂漠や極地に行ってくる必要もありそう。
そうそう、横店の撮影所は巨大な撮影所が6カ所だったかなあって、それがみんな無料なんです。そう映画撮影には無料で提供する。だから映画の制作費に場所代がいらない。
そういう環境にあると、それらを使いこなす監督が育ってくる。何もないところからいきなり構想力のある監督は無理ですね。
むしろ劇画作家に思うように書かせ、それから映画化の為に、それに合わせて撮影所を作り、実力のある監督に劇作家と共同で作らせる。
こんな手順かなあ。アニメの方が実物らしくなりそう。
日本だけでやろうとすると失敗しそうな気がします。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年05月12日 21:24
実写よりアニメ・・確かに『百億・・』を映像化するにはアニメのほうがと思います。でも萩尾 望都 さんの強烈なイメージがあって別な絵だとものすごい違和感が沸くような・・最初だけですかね?実写になるととにかく半端な制作費ではないはずですから、制作費だけで強烈な宣伝になるでしょうね。つまり前評判はとんでもなく高く、作品そのものがまた秀作であれば当然そこで主演を演じる阿修羅役の少女は後々そのイメージを引きずることになるのでは・・なんて余計な心配までしたりして。でも実写ができればなーと思います。たくせんさんはもう三十数年前の『トラ・トラ・トラ』という映画ごらんになってますか?なんか日本軍だけがかっこよくアメリカ軍がすごく間抜けみたいに描かれていてアメリカでは大不評をかったとか。後年同じ題材をこんどは正義の味方アメリカ、悪の権化日本、みたいに描いた『パールハーバー』という映画がありました。CGを駆使した超リアリズム・・なんていわれましたが、私に言わせれば『トラ・・・』のほうがはるかにりアルであり、史実に忠実であったように思えます。実際アメリカ映画界でも『パールハーバー』が公開されて逆に『トラ・トラ・トラ』が秀作であったと見直されたとか。『百億・・』もストーリーからCGの使用は避けられないでしょうがそれによってかえってリアリティをなくしてしまうことはやめてほしいですね。
Posted by 高橋  秀光 at 2011年05月16日 07:39
高橋 秀光さん
私がアニメと言うのは、「映画の原作」と言ったのでは、映画化のことを考えてスケールを小さくしてしまうからです。
日本人の気配りと言いますか、「これは実写では無理だからやり方を変えよう」なんて考えて、実写できるようにスケールを小さくしてしまう。
でも「アニメだよ」と言っておけば、実写できそうもない難しいことも気にせず考えそう。その上で、それを映画化すれば、わたしたちの望むような内容になるのではないか。

パールハーバーは、見ませんでしたが、トラ・トラ・トラは見ました。
アメリカが、空母の予算を取るために作ったとも言われていますね。

それはともかく、阿修羅は誰がやるか。わたしが知っている女性はみんな胸が膨らんでいる。子供では駄目。
震災騒ぎがおさまったら、その後の世界のために、こんな夢を実現してくれる人がいないものでしょうか(^。^))。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年05月16日 20:02
こんばんは。
 映画、、、確かに難しいでしょうねぇ。CGを大量に使えば、形的にはできると思います。アニメだと日本では受けても外国では絵柄などの差で受けづらくなる可能性もあるので(逆の例で大友克洋の「AKIRA」の金田をキアヌ・リーブスが演じるという話ですが、自分的には??となりましたし)、現実的には、ちょっと大変だけれど、実写化の方向でやって欲しいですね。
 日本初の作品ではありつつも、キリストやらイエスも登場してくるわけですし、キャストは外国人でもいいのかなと思います。日本人キャストでやるなら、阿修羅は、チャーミングでボーイッシュもできて中性的で興行的に人が呼べるという線でいくのであれば、、上戸彩さんなんかいかがでしょうか。デビューしたてのころは、性同一性障害に悩む男装の麗人をやっていましたが、わりといい感じでございましたよ。
 こないだ宇宙戦艦ヤマトの実写版でヒロインをしていた黒木メイサさんは怖いときの阿修羅をやらせるにはスタイルも申し分ないんですが、、あどけなさとは無縁なのが問題かなぁ。ナザレのキリストはジョニーデップあたりが似合うし興行的にもありかと。
 
Posted by 樽井 at 2011年05月16日 21:58
 私が阿修羅をオーデションでと申しましたのはたくせんさんとほぼ同じ理由なんです。既存の女優さんでは胸がありすぎ・・樽井さんご推薦の上戸彩さんなんか確かにいい線いってそう。ぺチャパイだし(ごめんなさい)でも少女ではもうない?であればオーデションがなんてと思いました。体操、フィギア、バレーの上級者ってボーイッシュでぺチャパイ(再びごめんなさい)の人多いんじゃないか?なんて思ったんです。ナザレのイエスのジョニーデップは引き受けてくれたなら最高ですね。もう話題沸騰でしょう。そうなると阿修羅役はますます難しい・・主演がイエス・キリストになってしまわないほど存在感のある者でないと、それにシッタータは物語のはじめのほうは主役のような・・いや阿修羅が圧倒的な主役となるのはむしろ最後の最後のようにも思えるんです。シッタータ役もですからすごく難しいように思えるんですが。そう考えるとオリオナエもユダもとなってしまいますけど。これってすごくエネルギーを使う妄想ですね。
Posted by 高橋 秀光 at 2011年05月17日 07:55
樽井さん
基本的な思想が保持されれば、キャストやスタッフが外国人でもかまいませんね。
中国の話になりますけど、能力のある人なら国籍は一切(と言い切れるか)無視する特徴があります。そんな作り方でいいと思います。
その代わり自国民でも別な考え方を容赦しない。だから能力のある人は外国籍になってしまう。これは困りますけど。
上戸彩さん、映画は見ていないのですが、イメージが違う。と言っても実際に演じてみると案外よかったたり。
黒木メイサは迫力がありそう。
わたしのイメージは、古い話ですが十代半ばのゴクミ。今ではそもそもスターを知らないので、考えることもできません(^。^))。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年05月18日 07:56
高橋 秀光さん
上戸彩さんはわたしはぺチャパイだとは思いませんが(^_^)。
主役はシッタータでしょう。そのシッタータが適役かどうか、それが阿修羅の魅力を決めそうです。
ジョニーデップはイメージがぴったりですね。

わたしはこれを一本の映画にまとめるのは無理ではないかと思います。一時間番組十回分くらい、つまり映画なら二時間映画で3本。
これくらいの長さがないとおさまらないのではないか。短くするために途中を下手に省略すると、肝腎の部分が矛盾したり意味が判らなかったりします。
 矛盾しても面白ければいい、なんて人もいますが…
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年05月18日 07:57
 たくせんさん 樽井さん
なんか話が白熱して来ましたね。配役まで決めたりして。でも熱くなりますよ。絵空事とはいえ。イエスのジョニーデップは3人の賛成(満場一致)で決定ということで。肝心な二人はやはり難しいです。映画の長さのことは私も考えました。宇宙創生と古代の3人or4人?の場面で第一部、インターミッション入りの4.5時間、第二部が後半未来世界の3人or4人?やはりインターミッション入りの4.5〜5時間、インターミッションでは撮影裏とかNGとか何しろ破滅の物語ですからそんなところでほんの少し笑いを・・萩尾 望都さんの絵をスライドショーなんかしてもよさそう。こっちのほうがいいかな。この途方もない時間を飽きさせずに見せることができなければ、『百億・・』の映画は失敗、途中はしょり?だめですあくまで完全映画化(笑)あ〜あそれにしても阿修羅どうしましょう。シッタータどうしましょう?なんてたってあのジョニーデップを食える若い俳優さん・・思い浮かばないですねー
Posted by 高橋 秀光 at 2011年05月18日 20:04
 わたしは金庸小説の武侠ドラマをよく見るのですが、本にして5〜8冊の物語を、大河ドラマ40回〜50回にしています。多少無駄があるにしても、それくらいないと語り尽くせません。これでも端折っています。
 何度も一時間半や二時間程度の映画にしていますが、これは見る人が原作小説を知っていて、ストーリーや登場人物を知っていることが前提として作っています。日本の忠臣蔵みたいです(^。^)。だから、端折っても意味が判ります。

 この物語は、知っている人はそのまま夢中になりそうですが、知らない人には、充分に説明しないと意味が判らなさそう。それなのでどうしても五時間以上かかる予感がします。
 まともにやったら十時間以上になりますね。

 先に載せた http://takusen2.seesaa.net/article/198636016.html 還珠姫の碁の写真の左側、夏青青役の俳優は阿修羅になりそうな気がします。(^。^)
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年05月20日 07:55
 たくせんさん
なるほど、写真を拝見すると、阿修羅よさそう・・年齢も不詳って感じですね。この子がどこまで魅力を放ってくれるか・・最近『パイレーツオブカリビアン』の新作ができたせいか、前3作をテレビで放映してますね。ジョニーデップの魅力を再確認しました。彼と張り合うわけですから相当演技力もいるでしょうね。ところで映画化のお話少しおいといて、「オリハルコン」どう思いますか?突然ですが、以前から気になってるんですが、これはプラトンの著の中にでてくる幻の金属なんですよね。これって古代日本にあったとされる「ヒヒイロカネ」と似てると思いませんか。赤い?茜色?まあそんないろで輝くところも、硬いところも、現在には存在しない?ところも、「オリハルコン」は高度文明がさかえたアトランチスにあったとされるわけですから幻は文字通りですが、「ヒヒイロカネ」は高度文明とはあまり縁があるとは思えない日本神話に出てくるわけで(竹内文書は神話とは違いますか)・・でもなんか似ているようなきがして。どちらもそう詳しい内容は知りませんので断定はできませんが同じもののようにも思えます。同じわけ無いんですが・・特徴そっくり・・気のせいですかね。
Posted by 高橋 秀光 at 2011年05月24日 07:48
おはようございます。
 ジョニー・デップ。確かに魅力爆発していますからねぇ、あれとはりあうとなると難しいです。 
 映画の時間は、最近の大ヒットが見込める映画でよくある全三部みたいな方式で5時間か6時間でやるべきでしょうね。「指輪物語」がそのスタイルで公開されたときにはびっくりしましたが、あれはあれで大正解だったと思います。
 オリハルコンとヒヒイロカネ、確かに言われてみれば似ているかも知れませんね。その二つと並んでファンタジックな鉱石の代表格のミスリルなんかも、そうですね。どれも非常に堅く、くだけない、そして妙に軽いという特質を備えていますね。
世界のいろいろな神話や伝承に、三途の川的な大河が出てくるのと同様に、人間の脳に共通してあるフォーマットがなにがしかの影響を与えてイメージさせるものなのかも知れません。
Posted by 樽井 at 2011年05月24日 09:13
高橋さん
 幻の金属や黄金伝説はあちこちにありますが、独立して成立した話が多いンではないかと思います。どこの民族でも夢を見ますので。
 日本の場合中国や韓国などの影響が大きいので、しかも文化の発達する初期からかかわっていますので、あちらの伝説などの影響がある可能性が高いかな。あちらに無いものを作ろうという意識も大きいと思いますね。それもやっぱり影響を受けている。
 登場するのがいつかが考察の鍵でしょう。
 碁の話になりますけど、日蓮聖人の棋譜があります。ところが記録に表れるのが江戸時代末期、それ以前の記録は全くないので、江戸時代末期に捏造されたのであろうと考えられています。
 そんなふうに判れば、他の文明文化の影響が判断できそうです。わたしは「竹内文書」なるものを見たことがないので、それについては何ともいえません(^。^))。でも理想的な金属を考えるとどこでも同じようになるのかな。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年05月25日 07:45
樽井さん
 世界の文明は大河に沿って発達し、金属を知って、飛躍的に向上した。その記憶は表面になくても、形を変えて文化の中に染み渡っています。そんなことの影響を受けて理想の金属像ができたのでしょう。
 わたしたちが映画の話をしていても、過去の名作や愚作が頭の中に有り、5時間とか10時間の数字が出てきます。原作小説を読んだ人には、1時間半では無理と判りますよね。 最近はテレビで3Dが登場しましたが、テレビ店で見ても見にくいだけで、魅力がいまひとつ。膨らみを感ずるどころか、奥と手前の数枚の書き割りを一緒に見ているような感じですね。なので却って薄く見えてしまう。とくに飛び出すのはうまくできているようですが、奥行きを出すのが難しそう。
 
 さて、七月からテレビ無しの生活になりそうです。iPadで見られるようですが、もう少し勉強してからにします。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年05月25日 07:46
高校の時コミックスから入り、読まなかった小説を読みだすきっかけになった作品です。
人生観が変わりました。
今でもかなりひきずっています。ww

ちなみに萩尾望都さんはこの作品に際し、少年誌向けにわざと線を太く描いています。

映画化は、そのスケール感から待望するところですが、
キリスト教を悪にして問題にならないのは、イスラム圏か宗教観に疎い日本くらいかと思います。
世界の多くの人からバッシングされる作品は作れませんよね。


Posted by 庭爺 at 2011年09月23日 09:45
庭爺さん
あなたも人生観に影響を受けましたか。読んだ人は多かれ少なかれ影響を受けるようですね。
言われてみると、少女マンガより線が太いかな。気がつきませんでした。

>キリスト教を悪にして問題にならないのは、イスラム圏か宗教観に疎い日本くらいかと思います。
イスラムはキリスト教の兄弟みたいなもの。問題にならないとは言いきれません。日本が宗教観に疎いとは思いませんが、ヘブライクリスト教的世界には疎いことは思います。そして現在はヘブライクリスト教的世界が世界リードしています。
人数ではその他の世界の方が多いと思いますが、経済力・政治力は弱い。わたしは仏教世界などでは受け入れてくれるのではないかと思っています。
 それでもイエス(キリスト教を悪とはしていないと思いますが)を悪人にするには反発は大きいでしょう。興行的には失敗の可能性が高いかな。作りにくいと思います。
そこをあえて作って欲しいのですが。
Posted by たくせん(謫仙) at 2011年09月24日 09:56
先程、「百億の昼と千億の夜」を読み終わり、このHPに辿り着きました。
読み終わったばかりでまだまだ内容を消化できずにいますが、皆さんが言っておられるように、何かしらの影響を今後引きずりそうですww

SF小説を最近読み始めた20代後半の者ですが、自分の未来、または自分が存在しない未来のことにも興味を持つことができ、目の前の視野が大きく広がったように感じます。
つまり、今の若者にとって必要なのはSF小説ではないのか、、、と。

皆さんが「百億〜」やその他のSF小説を読んで受けた影響とはどのようなものでしょうか?
Posted by 江川 at 2012年11月01日 17:20
江川さん
わたしの場合は、この本でSFの面白さを知りました。
従来のSFは例えば、西部劇の馬を宇宙艇に、拳銃を電子銃に変えた、だけの物語でした。
宇宙船に拳銃を持って乗るか、バカバカしい。そんな物語でした。
それが成熟したころ、日本のSFが始まり、日本では助走なして完成品が出ました。その始まりの小説だったと思います。
以後、SFにのめり込みました。
例えば金庸の武侠小説、今読んでいる畠中恵の「しゃばけ」シリーズ、夢中になったグインサーガ。いまでも読む本はSF小説です。

そんなわけで百億…はわたしの原点と言ってもいい小説です。今読み返してみるとそれなりに欠点はありますが、許せるものばかりです。
視野が広がったとわたしも思いますよ。
Posted by 謫仙 at 2012年11月02日 21:47
 はじめまして。
 『百億の昼と千億の夜』の愛読者の一人として、一つ気になっていることがあります。「新版(宮野氏の分類による)」の表紙を使用して紹介しておられるということは、「新版」の方がいいという見解だと理解してよろしいのでしょうか?
 「旧版」、萩尾望都による「マンガ版」と読んできた世代としては、納得できないものがあります。「新版」ラストから3行目の加筆、必要でしょうか? 「蛇足」以外の何ものでもなかったと思うのです。宮野氏が言うように「序章」の意味は大きく変わりますし、構造がはっきりと見えてまとまった感じにはなりますが、そうすることで失ったものはより大きかった気がするのです。タイトルどおりだった壮大な「叙事詩」が、ひとまわりもふたまわりも小さくなってしまいました。
 「最新版」の萩尾望都による表紙もそれなりにいいので、紹介するのでしたら「最新版」を使用されてはいかがでしょうか。個人的には、あくまでも「旧版」推奨ですが。
Posted by 風乃月臣 at 2013年02月11日 02:25
風乃月臣さん
この本は新版なんですか。1973年版ですが。
わたしが初めて友人から紹介されたのはその少し前で、上製本でした。それを思い出して本屋を捜したわけです。2001年35刷とありますので、1973年版と基本的に同じ筈です。
あとがきの最後に、「新版にあたって数行加筆した」とあります。この数行があなたのおっしゃる最後の三行でしょうか。
たしかにこれが新版とありますが、読み比べたわけではなし、40年前の記憶をたぐっても比較できませんので、いいか悪いかという判断はできません。
最後の三行だけでしたらどちらも可とします。わたしには蛇足とは思えませんが。

表紙の絵はがっかりしました。イメージが合いませんね。
最新版なるものは知りませんが、文章は変わっていましたか。大きく変わっているなら読んでみますが、ラスト三行と表紙だけなら、手を出す気がしません。
最新版を図書館で捜してみましょう。ただ、内容に変わりがなければ、あらためて紹介することはないでしょう。ここに追記するくらいとなります。

マンガ版は所々しか見ていないので、判断できません。ゴメンナサイです。
貴重な情報でした。ありがとうございます。
Posted by 謫仙 at 2013年02月11日 08:13
 『SFマガジン 2008.5』に宮野由梨香『阿修羅王は、なぜ少女か』という評論があるので一読されることをお奨めします。彼女の意見に賛同するわけではないのですが、加筆された部分の比較が容易にできます。「新版」の加筆は、ラストの「寄せてはかえし」で始まる部分だけなのですが、1993年7月に付け足されています。同時に、いろいろな意味で興味深い「あとがきにかえて」という文章が削除されました。
 『百億の昼と千億の夜』は「旧版」が出版される時点で『SFマガジン』初出時のラストが大幅に変更されました。この「初出版」との比較も上記論文にあります。私的には、かなり衝撃的だったので、是非とも比較後の感想をお聞きしたいものです。
Posted by 風乃月臣 at 2013年02月12日 01:40
風乃月臣さん
『SFマガジン 2008.5』ですか。図書館にあるかどうか。なければ「一読」はできませんねえ。
『阿修羅王は、なぜ少女か』は、「えっなんでそれが問題なの」と。
わたしの場合、先に興福寺の阿修羅を見ていたので、違和感がありませんでした。
ラストの「寄せてはかえし」で始まる部分、は約一頁ですね。これなら判ります。なくてもよい。その後は個人の想像力に任せるか。でもあってもかまわないと思いますよ。問題なしです。
読者の読書力が問題かも知れませんね。
著者は、加筆した部分に「当初から気になっていた部分である。ただのこだわりである。」と書いています。判らない人が多いと思っていたのかな。

「1993年7月に付け足されています。」これは微妙ですね。
1973年版と書いてあるのに、1993年の訂正が入っているのでしょうか。
「あとがきにかえて」はありませんが「あとがき」はあります。異なるのでしょうね。
 それからあなたの言うラスト三行目。

「そこにある安らぎと静けさが、切なく懐かしかった。」

これですね。蛇足ですか。
たしかに、考えてみると、阿修羅王の見解としてはスケールが小さい。読んだときはそこまで考えていませんでした。
でも阿修羅王とて、基本的には俗人と同じ安逸を求めている、と考えらます。
恥ずかしながら、私にはあなたの指摘する三冊の差を論ずるだけの能力はありません。どれも同じように受け入れられます。

最後に、私もその比較の論をぜひ読んでみたいと思います。
Posted by 謫仙 at 2013年02月12日 20:42
管理人様初めまして。愚生は新潟県新潟市に住まいする、しがない初老一歩手前の男です。(生まれは1955年生まれの59歳です。苦笑)確か愚生がこの本を読んだのは、まだ20代そこそこの時でした。出来れば、アニメでも実写でも「映画化」されれば、ハリウッドを遥かに凌ぐ超スペクタクルな作品になる事でしょう! 先ずは「滝沢演舞城」で舞台化して頂きたいと思います。
Posted by 曾我廼家光龍 at 2014年10月25日 12:39
曾我廼家光龍 さん
20代の思い出になりますか。当時はこのようなスケールの大きな話は少なかったと思います。今でも少ないかな。
ハリウッドを遥かに凌ぐ超スペクタクルを期待したいのですが、やってくれる人ないし組織はないものか。ハリウッドではキリスト教徒の反対にあいそうで、横店では中国の国家主義に染まりそうで、やはりアニメがいいかな。でも世界で売れなければ成り立たず、外国では内容を変えられてしまいそう。
わたしはどうも悲観的な意見を出し勝ちですが、その業界を知らないからで、半分はできるのではないかと思っていますね。
「滝沢演舞城」、初めて聞く名なので判りませんが、同じようにわたしの知らない組織がやれそうな気がします。

あっと、それから「初老」は四〇歳のことです。意外でしょう。(^。^) 
Posted by 謫仙 at 2014年10月26日 08:25
阿修羅王のキャステングの話ですが、ゴクミという案が出ていましたが、先に資生堂の口紅のコマーシャルを見ていて花井咲さんがイメージに合うかななどと思ったりしました。映画に就いては光瀬龍氏はクラーク原作の(2001年宇宙の旅)より、映画(エイリアン)のパラサイトな怪物或はシガニー・ウイーバーを気に入っていたー。その意味では黒木メイサとかも適役かも知れませんね。
また、ジュブナイルものの(夕映え作戦)は映画で見たいしヒロイン風祭さんのキャステングも面白いかな。NHK のシリーズではコメデイだったが、シリアスな少年ものとして挿画の依光隆氏風のキャストでも見たいし…。
Posted by PineWood at 2016年01月21日 08:46
PineWoodさん
花井咲さんは初めて聞く名前、どんな人なんでしょう。検索してみました。細面に見えました。興福寺の阿修羅が丸顔なのでウーン。
黒木メイサは鋭い目つきがよさそうです。
物思いに沈む表情、怒りに燃える表情など、凡人には恐怖に感じるような表情が出来る人が望ましいですね。
エイリアンは見ていないので、申し訳ありませんが、なんともいえません。
夕映え作戦など、光瀬龍の小説は当時夢中で読みました。短編集宇宙年代記もあります。
これら読者によってかなりイメージが違うと思われます。光瀬龍のイメージを再現発展させられる方の出現を望みます。
Posted by 謫仙 at 2016年01月22日 08:22
昨日、東京の武蔵野吉祥寺美術館で萩尾望都SF 作品展に行きました。今日迄の展示ですね。圧巻は阿修羅王!かなり混雑していました。ビデオアート作家にナムジュン・パイクという創始者がいて、もしパイクなら(百億千億)をどう撮るか考えて見ました…。阿修羅王の視座で阿修羅王が見た宇宙世界という事でひたすら海が写る、本のテキストの頁が捲られる朗読が続く様な…。生きている巨匠ならゴダール監督かな。奇想天外でカンヌ映画祭でパルムドール賞!!
Posted by PineWood at 2016年05月29日 05:23
PineWoodさん
今日までですか、残念ながら見に行けません。
ナムジュン・パイク、わたしの全く知らなかった世界の人物です。この人ならおもしろい阿修羅王ができそうですが、光瀬龍とはイメージが違うような気がします。
阿修羅王の視座で海を、ゴダールのイメージは、代表的な作品をいくつか見てみないと判断が出来ませんね。
光瀬龍の精神が崩れなければ、どのようなやり方でも…と言いたいのですが、どうもわたしには、奇想天外な方法は理解できません。わたしの狭い見聞では、「指輪」が一番理想に近いかな。どうしても小説から離れることに抵抗を感じるようです。若い頃の刷り込みですね。
Posted by 謫仙 at 2016年05月29日 08:43
先のコメントで女優さんの名前間違えていました。武井咲さんでした…。昨日の萩尾望都展示会場ではトークショーの録画のダイジェストが流れていました。(百億千億)の漫画化にあたり奈良の興福寺阿修羅像等を取材し当時、ガラスケース無しで全方向から自由に見られてスケッチしたとか、古ぼけたソファーで一時間も寝てしまった…というエピソードを披露してました。光瀬龍氏も大の仏像フアン、大の時代劇フアン、大の相撲フアン、大の昆虫好きー。教員になる前は演劇にも関わっていたー。そんな色々な要素の集大成の日本SF の金字塔の作品をその精神に忠実に映画化するのは至難の業なんでしょうが、例えばアニメーションとして割り切れば、萩尾望都さんら漫画家の結集で案外可能なのかも知れない…。トークシヨーではヤマザキユリさんとの対談でゴジラやウルトラマンの話が盛んに出ていたので、今ではCG,3D,4Kといった角度でも映画化が出来るのかも。そういう技術に大きく左右されるのが映像分野だとすれば、光瀬龍ワールドはラジオドラマのようなスタイルが向いていると言う気もしますー。
Posted by PineWood at 2016年05月29日 11:29
興福寺の阿修羅像はガラスケースですか。わたしが見たときは、ケースなしで自由に見られました。阿修羅以外の八部衆もよかったな。定型的な像の中で生き生きとしていました。
話を戻して、アニメなら問題ないでしょう。CGを多用して、かなり虚空や異世界のイメージを再現出来るのではないかと思います。
武井咲さん、イメージ的には問題ないと思います。あの厳しさとか威厳とかが表現できるかですね。少女的イメージはいくらでも作れるでしょう。
萩尾望都さんが今でも熱く語ることが出来るのに驚きました。
Posted by 謫仙 at 2016年05月31日 07:59
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