2013年11月14日

光圀伝

冲方 丁(うぶかたとう) 角川書店   2012.8.31
        20130111.jpg
 この作者の作品は 天地明察 しか読んでいない。わたしはけっこう批判的に書いているが、こんな面白い小説に、どうしてこんな間違いがあるのか、それが残念だ、という気持ちだった。
 ところが、光圀伝では見事なほどに修正されている。
 例えば剃髪。光圀伝では林羅山など漢学者が剃髪をしている。それ以外のしきたりなどを含めて、見違えるほど正確(らしく)に思える。もちろんわたしの知識がどこまで正しいか不明だが、わたしの常識でおかしな点はない。
 天地明察では、「酒井は逝去した。享年五十七歳であった。」とある。ところが光圀伝P633に「享年五十八」と正しく書いている。こんな所にも著者の成長が見られる。刮目して見なければならない。
 漢籍の扱い方もいい。学問といえば漢籍を読むことだった時代の雰囲気がよく出ている。
 伯夷叔斉の故事から始まる。これだけの内容を書くにはどれだけ漢籍を読んだか。小説家だから当然といえば当然なんだが。

 少年時代、市井の者と交わり、青春時代は詩(俗に言う漢詩)と和歌に夢中になる。詩の世界で天下を取りたい。また林羅山の息子と交わり、何故この世に歴史が必要なのかを知り、生涯を賭した「大日本史」の編纂という大事業を始める。一代で終わるものではない。そのため水戸藩の勉学の師に李舜水を招く。
 また藩政改革に取り組むが、それにも李舜水を師とする。

 光圀は水戸家の三男であった。長男がいるのに世子となる。なぜ自分が世氏なのか。この疑問がいつまでもついて回る。伯夷叔斉の故事から、それらしき結論を見つける。結局兄の子を養子として水戸藩のあとを継がせることにする。これが光圀の大義であった。
 しかし国史編纂をしていれば、さらに大きく、徳川将軍が政治権力を握っているのは大義に背くのではないかという問題が生じる。光圀にはそこまではできなかった。
 このはなし、わたしにはとても同感できない。だが身分制度の時代はこれが美談だったか。問題も無いのに、父の意向に逆らう不孝者ではないか。

 この本には出てこないが、水戸藩と言えば名実が一致しないことで有名。表高35万石でその格式を保つため費用がいるが、実質15万石程度。財政は苦しかった。のちに「大日本史」の編纂の費用にも苦しむことになる。おそらく領民から恨まれたことだろう。

 この本1500枚という。752頁もある。わたしはこういう本づくりに疑問を感じる。上下二巻にできなかったものか。
posted by たくせん(謫仙) at 16:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
疑問点かふたつ。
 水戸藩の家老を「老中」や「大老」と表現しているが、水戸藩でもそのような言い方をしていたのだろうか。
 光圀は李舜水の作ったラーメンを食べたとあるが、中華風の麺ではないのか。ラーメンは日本発生が常識。

 瑕瑾なので本文には書かないが、気になっている。
Posted by 謫仙 at 2013年11月16日 07:24
> 天地明察では、「酒井は逝去した。享年五十七歳であった。」とある。ところが光圀伝P633に「享年五十八」と正しく書いている。

数字ではなく、「歳」の使い方。
Posted by 謫仙 at 2013年12月17日 08:09
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