2020.8.3 追記
先日ドジを踏んでしまった。気がついて、すぐにお詫びのメールを送った。
あるEメールが届いた。
始めはAさんからBさんへメールが行き、Bさんが「こういうメールがありました…」などと加えて、わたしなど多くの人に転送したのである。わたしは一目見てAさんからのメールと錯覚をしてしまったのだ。(Bさんは代理と思った)
その内容は、問題のところだけを言うと、
「…公演を開催します。…◯◯◯の方々にかぎりご招待させていただきたいと思います。」
AさんとBさんは◯◯◯であるが、その他の人たちは◯◯◯ではない。もちろんわたしも◯◯◯ではない。
わたしは朝の忙しい時であり、Aさんからと錯覚して解釈してしまったのであるが、仕事から帰って、もう一度全体を読み直して、大変な間違いに気がついたのである。なによりBさんが追加した文を正しく読んでいなかったし、さらに悪いことに、錯覚してしまったので付随する文を詳しく読んではいなかったのだ。反省。
錯覚の中心は「かぎりご招待させて」と「いただきたいと思います」がどうもかみあわないこと。
わたしがまず間違えた(錯覚した)内容は次の如し。
「…公演を開催します。…◯◯◯の方々にかぎりご招待いたします。その他の方はお断りします。」
夕刻にはこう思った。
「…公演を開催します。…◯◯◯の方々にかぎりご招待役とさせていただきたいと思います。」(招待する客の人選を任せます)
正しくは
「…◯◯◯の方々にかぎり無料で(あるいは優遇で)ご招待いたします。その他の人たちは有料です。」
ではないか。
結局、「させて」の解釈と、「いただきたい」を、Aさんからわたしたちへ(Bさんではなく)の言葉と錯覚したのが問題だった。
意味が判ったので、わたしも観賞に行くことにした。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
この誤解の中心は「いただく」の解釈である。
XからYへ100万円贈与するとしよう。
Xから見れば「与える」。
Yから見れば「いただく」である。
ここで、Xは何らかの事情によってYに与えねばならない義務があるとき、このときのYの催促が、「いただきたい」ということばである。別な言葉で言えば、「早く100万円よこせ」
「いただきたい」は、「よこせ」の別な言い方なのだ。強制の意味を持つ。つまり、いただくのは何か。この観点から考えれば、見えてくる。
「〜かぎりご招待させていただきたい」となれば、Aは何をいただきたいのか。
無料ご招待は「◯◯◯の方々にかぎります」と、かぎることが自分の利益の人の言葉だ。
この いただくもの が見えないと、珍妙な言葉になる。
時代劇に(今でも)よくあるパターン。
「何々をいただきたい」
「駄目です」
「何だと、オレがおとなしく言っているうちによこせ。死にてえのか」
会社勤めをしていれば、何度も経験しているパターンのはず。
相手の負担を軽くするために言うこともある。それも、上に書いたような意味が判っていないと理解出来ない。
たとえば若旦那が、父親のような番頭や年上の手代にいやな仕事を押しつけなければならないとき、ちょっと言い出しにくい。そのようなとき、誰かが「わたしがやらさせていただきます」といえば、言葉ではいただいたようで、実は苦労を引き受けて、若旦那の気持ちを軽くする。つまり忖度である。それが若旦那に判らないと、忖度のしがいがない。
たんなる丁寧語ではない。
参考 雲外の峰−いただきます