2007年04月15日

シブミ

 著者 トレヴェニアン 訳 菊池光 早川書房 1987.9

 章の名前は碁の専門用語を使っているが、囲碁小説ではなく、普通の小説である。
  フセキ  サバキ   セキ  ウッテガエ   ツルノスゴモリ
          shibumi.jpg
 アラブ過激派を狙うユダヤ人報復グループの若者二人が、ローマ空港で虐殺された。指令を発したのはアラブ諸国と結んで石油利権を支配し、CIAをも傘下に収める巨大組織マザー・カンパニイ(母会社)。
 だがグループの一人、ハンナがからくも生き延び、バスク地方に住む孤高の男に救いの手を求めた。その男はニコライ・ヘル、シブミを体得した暗殺者だ。
 1930年代の上海で少年期を送り、日本軍の将軍からシブミの思想を学んだへルは、かつてハンナのおじに受けた恩義に報いるためにマザー・カンパニイから彼女の身を守ることを決意する。だが巨大組織の魔手はすでに彼の許に伸びていた


 日本や上海に関する正確な描写。その他は、わたし(謫仙)には正確かどうか判りかねます。

 まずローマ空港の殺人現場を検討するアメリカの母会社の情報機関らしきものから始まる。
 そして、生き残ったハンナが頼ったバスクのヘス邸。ニコライ・ヘスは現役を引退し、日本の女とシブミの家に住んでいた。
 それから一気に日中戦争の頃の上海にさかのぼる。ニコライの少年時代。
 上海を占領した日本軍、その占領の様子は細かい。
 中国軍の問題点も冷静に描写する。
 中国軍は上海において、日中戦争を通じてもっとも頑強な抵抗を示した。はるかに兵力の少ない日本軍が彼らを駆逐するのに三カ月かかった。外国の介入を誘い出すつもりで、中国軍は、日本軍の砲撃による人命や建物の損害に輪をかけるように、連日空軍による(誤爆)をくり返した。
 さらに、彼らは、道路の遮断を続行して緩衝の目的で数万人の市民を閉じ込めていた…それも自国民を
(と、かなり辛辣)

 日本の上海占領軍の岸川将軍のアメリカの評価も鋭い。同時に日本の当時の現状に対する評価も厳しい。
 その岸川はニコライ・ヘスとその母の家を使用したが、態度は紳士であった。
 戦中に、ニコライに敗戦後の英語の必要性を説くあたり、冷静に現実を見ている。
 少年ニコライは、本を読んで独自で碁を学んだ。更に語学の天才でもあった。岸川のもとであっという間に日本語を習得するが、それが五番目の言語であった。
 岸川は、対局をしてみて、碁の才能にも気が付いた。
 題名の「シブミ」を次のように説明する。
「シブミ、ですか?」
 ニラコイはその言葉を知っていたが、庭とか建物の地味で落ち着きのある美しさを表わす場合の使い方しか知らなかった。
「その言葉は、どういう意味で使っているのですか?」
「そう、ごくあいまいな意味だ。それに、正確な使い方ではないかもしれん。言葉では表現できないことを表現しようとした考えのいたらない試みだ。おまえも知っているように、シブミという言葉は、ごくありふれた外見の裏にひそむきわめて洗練されたものを示している。この上なく的確であるが故に目立つ必要がなく、激しく心に迫るが故に美しくある必要はなく、あくまで真実であるが故に現実のものである必要がないことなのだ。シブミは、知識というよりはむしろ理解をさす。雄弁なる沈黙。人の態度の場合には、はにかみを伴わない慎み深さ。シブミの精神が寂(さび)の形をとる芸術においては、風雅な素朴さ、明確、整然とした簡潔さをいう。シブミが侘(わび)として捉えられる哲学においては、消極性を伴わない静かな精神状態、生成の苦悩を伴わない存在だ。人の性格の場合は……なんといったらいいか? 支配力を伴わない権威、とでもいうのかな? なにかそのようなものだ」

 碁についてニコライは、
「碁は哲学者や戦士がやるものであり、チェスは会計士や商人がやるものです」
 ニコライの語学力と碁の才能を見いだした岸川は、碁の専門教育を施すためニコライを日本の大竹七段のもとへ送り込む。
 大竹七段、この名を見て、瞬時に川端康成の「名人」の大竹七段を思い出す(架空の名前だが、モデルは木谷実)。少年たちを育てる立場もよく似ている。作者は「名人」を読んだことがあるに違いない。
 ニコライは、そこで碁の腕も上達するのであるが、大竹の死後、内弟子はバラバラになる。ニコライも自分の力で生きなければならない。
 アメリカ軍の、軍事施設を狙わず民間人を攻撃する空爆の問題も示す。それ故、戦中戦後の生活困難ぶりの描写も納得できる。
 たとえば戦後、
 急激なインフレで一文無しになったニコライは新橋駅で寝泊まりする。その一団の人たちの中に毎朝おきられなくなった人が八人か十人いた。
 ニコライは進駐軍の通訳や暗号解きとして務め、住まいを浅草に移す。ここで家族同様の人を得、貧しくも落ち着いて暮らすことになった。
 戦犯の岸川が、ロシアからたった一人だけ、東京に移された。ソ連が戦争裁判に加わりたいためである。ニコライは助けようとソ連に接触したあと、進駐軍の査問を受ける。母がロシヤの貴族であり父がドイツ人であり自分は岸川の助命のためにロシアの公使に会ったことを認めると、共産主義者でナチでソ連のスパイにされてしまう。
 そして、三年の牢獄生活では、差し入れられたバスク語の本でバスク語を覚える。
(著者の錯覚か、偶然とはいえバスク語の本が日本で手に入れられるとは)
 出所したニコライは、もはや日本は日本精神の世界ではないと、出国して、二度と帰らない。
 最初のローマ事件は読んでいてイライラしてきた。どこまでいっても「それがどうした」と思ってしまう。
 物語が始まる前の説明としてはあまりに長い。80ページを10ページ程度に縮めてくれると有難い。
 物語は昔の上海にいき、ようやく始まった気がする。また、現在に戻ったときに前の続きであることが判るが、途中で切る必然性が感じられない。
 小説のテクニックであろうが、私には無意味に思える。
 これを、時系列にすれば、まえがきではなく、すでに本文となり、問題は少なくなる。手順前後であった。

 下巻はニコライの趣味大洞窟のケイヴィングから始まる。それが60ページに渡る。
 ようやく冒頭のローマ事件の続きになって、ニコライはハンナに会う。
 ハンナはその地方の人々や密輸業者に見守られるのだが、神父が裏切って、母会社に殺されてしまう。また家も爆破されてしまう。シブミで調和している日本庭園も破壊される。日本の女ハナは失明する。
 ニコライはハンナの仇を討ち、長年の宿敵を倒す。
 そして再び日本の女ハナと生活をはじめる。
「今度の出来事でたった一つよかったのは、あなたの庭ね、ニッコ。彼らが庭に手をつけなかったのが、ほんとに嬉しいわ。あなたが長年、あれだけ愛情と労力を注ぎ込んできたことを考えると、庭をいためられていたら、わたし、とても悲しむわ」
「わかっている」
 庭がなくなっていることを告げるのは無意味だ。
 彼が二人のために用意したお茶の時間になった。


 この会話、シブイ。これ以上言うと終局後のダメ詰めになる。
posted by たくせん(謫仙) at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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