碁は時間との勝負でもある。わたしは「幽玄の間」では、「持時間20分、切れたら30秒の秒読み1回」にしている。
時間の使い方は人による。布石で時間を使う人もいる。わたしは布石では時間を使わないようにしている。戦いのためにとっておく。
あるとき、相手が残り0分、わたしが残り12分という状況で、わたしが非勢であった。長考に入った。残り3分になった頃、管理人が入ってきて、「打たないという苦情が…」という。
わたしは「残り時間を見てください、相手の方が時間を使っています…」と返事をした。基本的に、相手より消費時間が短いなら苦情を言われる筋合いではない、と言うのがわたしの考えである。そのために布石では時間を使わないようにしているのだ。
これは手合い時計を使っていない時は問題になる。
次の話は記憶は正確ではないが、趣旨をくみ取って欲しい。
あるアマの対局で、相手が長考しほとんどの時間を使ってしまい、気分的には相手が50分、こちらが10分で、1時間を過ぎたと思える頃、いきなり「時間なのでこれから秒読みで…」、といわれたという話がある。冗談じゃない!
それならはじめから時計にすべき。試合の途中でルールを変えるな。
先日、某氏に大石を殺され負けてしまった。問題は投了できず、長々とそのあとも打ったこと。
反省半分だが、それがわたしの碁だと開き直る気持ちが半分。
相手が長考派で布石に時間を使うと、同じくらいの時間は投了せずに使ってもいいのではないか、と思うことがある。
これには事情がある。よく「勝ちました。投了してください」と確認のつもりで打った手が、なんと敗着になることがある。つまり、わたしのレベルでは読み切れないのだ。してみると殺されたと思っても、もしかしたら読み違いで生きる手があるかも知れない。だから確認できるまで打ってみよう、と言う気があるのだ。それで投了せずに打つことになる。
これは時計のない場合では、相手が長考してわたしよりかなり多くの時間を使っていると思える場合のみ。
ある対局、黒がわたしである。
形勢判断は30目以上の勝ちとみていた。この後40手ほど打って、なんと投了する羽目になったのだ。誰がどう見ても理解に苦しむだろう。
こんなことがあるので、確認するまで打ちたくなる。もっとも人によれば、「図から先は碁ではない」と言うかも知れない。
投了するのは打ち手の判断であって、催促するなどとんでもない。
そういう人に限って、自分は長々と考えることが多いですね。
有利になると途端に相手に投了を催促する。
ネット碁でまだ打つか?と聞く人に対して、
用事でもあるんですか?。と聞いたら「食事の時間だ」との返事が来ました。
私は、だったらどうぞ投了してください。私は許します。といやみに応えました。
極端な話、神様Aと神様Bが対局して、一方の神様が初手天元を打ったら、
もう一方が投了した、というのが、あります。
この話で行けば、人間界で一方が一手打って、他方が投了しないのはけしからんとなります。
人間はヨミの深さがそれぞれなんですから、あくまで打ち手の判断です。
潔さは自分の話であって、人にもとめるものではない。
感違いしている人が、結構います。
ただ、明白に負けた後、それでもまったく価値のない、自分の地にダメ詰めの手を打つ人が稀にいます。
それでも私はつきあい、盤面から相手の石がなくなり、真っ白(あるいは真っ黒)になったことが一回あります。
おおっ、完全試合!!。361目勝ち。
用事があると判っているなら、碁を開始すべきではない。うっかり始めてしまったら詫びて投了すべき。ですよね。
同じ強さでもヨミの力はかなりの差がある。さらにいろいろな場合があるので、無駄な手を打ってしまうことはありますし、打たれたこともあります。
わたしの場合、ここを切らなければ勝ち目はないと思ったら考えずに切っていきます。選択肢は投了か切るか。だったら切ってから考えればよい。結果は無理無駄な手になることが多い。切らないなら投了します。
わたしの珍記録は、大差の勝碁で終局パスを30手近く続けたこと。相手はダメを打つので、もしかしたら、ダメがなくなるまで打つものと、勘違いしていたのかも知れません。
>おおっ、完全試合!!。361目勝ち。
これは経験したことはありません(^。^) 状況にもよりますが、無駄手が続きそう。