韓非子(かんぴし)の中にある話、その3である。
あるとき、わたしの身近で矛盾が話題になった。なぜ矛と盾か。
「矛は攻るもの、盾は守るもの、だから矛盾ではないか」などという。
あらためて問われると、意外に知らない。わたしは国語の教科書にあったので知っていた。
楚の商人が、矛と盾を並べて言う。
「わが盾の堅きこと、よく陥(とお)すものなし。わが矛の利なること、物において陥(とお)さざるなし」
ある人曰く、
「子の矛をもって、子の盾を陥さば如何(いかん)」
その人、応うるあたわず。
どんな盾も陥す矛と、どんな矛も陥さない盾は、同時に存在できないのだ。それが存在するという主張は矛盾する。
孔子が聖人とあがめる王がいた。そのふたりが堯と舜である。堯は帝位を舜に譲った。武力によらず譲ったので、これを禅譲という。
韓非子にこんな話かある。
歴山で農民が境界をめぐって争っていた。舜が出かけてともに農耕したところ、一年で境界の畦は正しく定まった。
黄河の漁師が釣場を奪い合っていた。舜が出かけて漁師の仲間に加わると、一年で釣場は年長者にゆずられるようになった。
東夷の陶工が作る陶器は粗悪だった。ところが、舜が出かけていっしょに作るようになると、一年で陶器は立派になった。
この話を聞いて孔子は感激した。
「……これはなんと立派な「仁」であろうか。みずから実践することによって、人民にならわせたのだ。これこそ聖人の徳と言うものだろう」
「このとき堯は、何をしていたのか」儒者にきいた者があった。
「堯は天子であった」と儒者はこたえた。
ここで、
堯が聖人なら、農民も漁民も争うことはないはず。争ったのは、失政があったことではないか。それでは聖人とはいえない。もし失政がなければ舜は徳を施す術がない。
ここで矛と盾のたとえ話が出てくる。堯と舜を同時にほめたたえることができないのは、この矛と盾のたとえと同じである。と。
舜が三年もかけて三件を解決するとは効率が悪い。世の争いは無限にあり、これでは解決できない。王が「争いをやめよ」と法律で命令すれば一日で済むこと。というのがこの文の主眼である。
儒家に反論させれば、論破できるかも知れない。聖人の定義からして違う。聖人とは全知全能ではなく、間違いに気づいたとき、公表して改めるような人だ。
それはともかく、たとえ話が実に巧みではないか。本題の方は誹られても、たとえ話の「矛盾」は現在も生きている言葉だ。
最初に書いた人たちはマイナス面を矛盾という。矛(む)にアクセントを置く。「先富論によって富む人が出たが、貧富の差が激しくなるという矛盾が吹き出した」というように言う。それは当然で矛盾してはいない。
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2015.3.4 追記
コメントに書いた次の言葉。
神は自分で持ち上げられないような大きな岩を作ることができるのかどうか。
この答えは「できない」が正しい。これは矛盾しているようでいながら、実は矛盾していない。
神には持ち上げられないような大きな岩を作ること(不可能なこと)はできない。それは作れない。
「できない」は否定しているようだが、不可能なことを「ない」と否定しているので、「できない」とは、「不可能なことはない」、と同じで意味になる。
「オレは全知全能の神なんて信じないね。
もし全知全能なら、神は自分の言うことをきかない女を作れるのかい?
言うことをきかせられないなら全能ではないし
作ることができないのなら、やっぱり全能ではないじゃないか」
かなりひねくれた意見なんですけどね。
全知全能という言葉も、意味の上で矛盾なのでしょうか(笑)
その話は知りませんでしたが、同じような話がありました。
赤毛のアンのシリーズで、協会に来なくなった信者に、「新しい牧師が来たので協会に来てください」と誘ったとき、
「その牧師にきいてくれ、神は自分で持ち上げられないような大きな岩を作ることができるのかどうか。前の牧師は答えられなかった」
古い記憶なので言葉は正確ではありませんが、こんなことをいう男がいました。
モンゴメリーはそんなことを考えられる人だったんですね。
ぱるうぃーずさんもご存知の古代インド(サンスクリット語?)では全知全能という言葉がなく、偉大な人物はあれもできるこれもできると重ねていって、釈迦なら三十二相を持つとして、結果化け物のような釈迦像ができました。
頭は巨大なこぶがあり(ヘアースタイルではない)、額にはビャクゴウが、手には水かき、足裏には日輪、等々。
数字の「0」を見つけた国だけあって、全知全能というような矛盾する言葉を許さなかったようです(^。^))。
考えているうちに、全知全能という言葉は日本語なのか心配になりました。翻訳語かなあ。