2007年05月09日

沙門空海唐の国にて鬼と宴す

      夢枕獏   徳間書店   2004
 十七年にもわたって、書き継いだ。これを通して読んだ人は、おそらく編集者と作者だけであろうという。それでも、書き終わるまで単行本にしなかった。このこだわりに脱帽。
 
 ああなんというど傑作を書いてしまったのだろう。
 いや、もう、たまりません。
 ごめんなさい。
 どうぞ御勘弁。
 自画自賛、させていただきたい。

          kuukai.jpg

西暦804年。
 長安に密を盗みに来たと豪語する留学僧の空海。この若き天才は、唐王朝を揺るがす怪異に遭遇し、橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに妖しき獣に接触する。
 阿倍仲麻呂に次ぐ日本生まれの世界人の活躍である。
 空海と橘逸勢のコンビは、陰陽師の安倍晴明と源博雅のコンビを思い出させる。
 この本の背表紙は大きく夢枕獏と書いて、その下に小さく「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」と三行に書き、その下に小さく「巻の一」とある。
 ある大学生が、これを読めなかった。夢枕獏を書名と思ったらしい。本の形からすればそれが常識だが。

 獏 =ばく  夢を食うといわれる想像上の動物です。
 沙門=しゃもん  仏教僧侶のことです。
 宴 =うたげ
 鬼 =おに  「これくらい読めます」って。失礼しました。ただ、日本で鬼といえば、悪人を痛めつける地獄の獄吏とか、桃太郎の鬼ヶ島の鬼、つまりプロレスラーのような姿を思い浮かべますが、ここでいう鬼は、逆にやせ細った飢え死にしたような人を想像してください。中国では鬼とは死んだ人のことです。
 そういえば死んだことを「鬼籍に入った」と表現しますね。その鬼です。

 とは言ったものの、二十歳前後のころのわたしの読書力では、とても読めなかったであろう。

 さて。
 遣唐使に加わった空海たちの船は嵐に遭い、福州まで流された。そこで上陸となるはすだが、なんと一行は上陸を許されなかった。大使が何度も嘆願書を出すのだが、上陸の許可が出ない。
 唐では文章力によって人を判断した。門閥で出世した大使の文はたかが知れている。そこで空海に嘆願書を書かせた。空海の文章力は、唐でもトップクラスに並ぶのであった。
「高山は黙していても鳥や獣はその高さを慕って集まってくる。……同じように蛮人でも天子を慕って集まってくる……」
 こんな書き出しの格調高い嘆願書の全文が載っている。とても唐に初めて来た外国人の文ではない。奇跡のような名文である。この文を届けると魔法のように上陸の許可が下りたのだった。
 帰る日まで、唐土で20年間学ぶことを要求されていた。次の遣唐使はそのころなのだ。だがそれは長い。何とか2年に縮めたい。それが空海の望みであった。
 密といえば青龍時の恵果和尚である。だがそのまま入門しては時間がかかりそう。しかし、20年もかけるわけにはいかない。日本に帰ってからの時間が少なくなってしまう。そのため、直接青龍寺に行かず、他所で真言(古代インド語=サンスクリット)を学んだり、安倍晴明のようなことをして、評判を高め、招待されるよう画策する。
 長安への途中、洛陽でも怪異を解決し、名をなした。そして長安に入る。
 空海入唐の年、長安では怪異な事件が続いていた。猫の妖怪が徳宗の死を予言。また、驪山の北の綿畑では、皇太子の病の予言が聞こえたという。
 老女が「清平調詞」を歌い舞う。玄宗皇帝の前で、楊貴妃の美しさをたたえるために李白が作った詞である。 (詞とは、はやくいえば替え歌のこと)
 楊貴妃伝説がある。日本に楊貴妃が来たという。その伝説をふまえて話が進む。
 四十年も前、安史の乱で玄宗皇帝の御代は終わりになった。そのおり、玄宗は、都長安を捨てて、蜀へ避難しようとする。だが、都を出てすぐに、楊貴妃に死を与えねばならなくなる。そのとき、道士黄鶴は驚くべき提案をする。
 楊貴妃を仮死状態にし埋葬し、何年かしてから生き返らせ、日本へ行かせて、生を全うさせようというのだ。
 玄宗皇帝は楊貴妃を助けようとし、ついに阿倍仲麻呂に日本に連れて行くよう願う。それを空海は万葉仮名の阿倍仲麻呂の書で知る。
 だがそれは半分失敗した。その原因は何か。と謎は深まる。
 長恨歌を書こうとする白楽天。死んだ妻の敵を取ろうとする黄鶴。この黄鶴と楊貴妃の不思議な関係。黄鶴を裏切る二人の弟子、白竜と丹竜。青龍寺の恵果和尚の師不空も一枚噛んでいる。
 そして死の直前の高力士から阿倍仲麻呂に送られたという謎の文。その中に、楊貴妃が玄宗皇帝のもとにきた事情が詳しく述べられている。
 更に不空三蔵の話、不空が敦煌にいたとき目にしたある事件。それは敦煌まで遠征した玄宗がそこで恨みを買うことになった事件であった。これが玄宗晩年の数々の事件のきっかけであった。その中には楊貴妃のことや安史の乱がある。
 そして、空海は華清宮である宴を開く。そこへ関係者が引き寄せられる。
玄宗の御代。
李白が詩をつくり、李亀年が唄い、楊貴妃が舞い、晁衡がいた、あの日の宴をもう一度。そこで明らかになった、意外な結果。茘枝を見て、感激してすぐに食べる不思議な老女。この宴をきっかけにして長恨歌を書き上げる白楽天。
 事件は一応の決着をし、空海は青龍寺の恵果和尚のもとに行き、密を受け継ぐ。
 そして、帰国の嘆願に対し、憲宗より壁に書を書けと命じられる。
 ある壁一面に曹操の詩が書かれていた。それを一目で判った空海に居並ぶ人たちからため息が漏れた。さらに、
「ひとつわからぬことがござりまする故、その理由を考えておりました」
「何をだ。申せ」
「それは、何故、ここに王義之様の書があるかということでございます」
……驚きと賛嘆の声が湧きあがった。


 帰国する空海に白楽天は長恨歌を唄って見送る。
 見送る丹竜は、50年も恋いこがれた女と最晩年の一年にも満たない間、二人で生活をして最期をみとり、
「一年にも満たぬ間であったが、わが生涯、これほど幸せな日々はなかった」

空海といえば弘法大師。
    弘法筆を選ばす
    弘法も筆の誤り
 などという言葉で有名である。また各地に大師の何とか、がある。
 世界史上でも、これほどの天才は特筆に値する。数年で外国語を完全にマスター。
 しかし、駒田信二の「死を恐れずに生きる」を読んで少し考え方が変わった。この時代は政治家は漢語や朝鮮語が話せたのではないかという。してみると、空海も数年で漢語を覚えたのではない可能性が大きい。
 この本に限らず、夢枕獏の仏教哲学の解説は特筆に値する。それを小説の中で自然に行う。一つ例をあげる。
    色即是空
 おれもおまえもすべて空なのだ、と言って、
「では橘逸勢はどこにいる」
「ここにいるさ、おまえの目の前に」
「では、おれの目の前の目が橘逸勢か」
「違う」
「では、鼻が橘逸勢か」
「違う」

……
では、おまえでないものをすべて取り去ったあとは何が残っている。
「何も残っていないよ」
おまえが橘逸勢ではないと言ったものばかり、なぜおまえがいなくなる。
「知らん」
「それが、空なのさ」

……
結局、魂であるとなり、
…、その魂のみを、さあ、これが橘逸勢ですと、他人に示すことができるか」
「で、できない」

……
「では、その夕暮れから、おまえの感じた美しさなり、哀しみなりを、それだけを取り出して他人に示すことができるか」
「−」
「どうだ」
「で、できない」
「そうなのだ。美も、哀しみも、夕暮れの中にあるのではなく、おまえの心の中にあるのだからな」

……
「…では仏法は無力なのか」
「そうさ仏法は無力よ」


 こんな会話が15ページほど続く。
 赤字は原文のまま。……はわたしが省略した。
 どうです。下手な出家者の説法より、よほど仏教哲学を理解できると思いませんか。
posted by たくせん(謫仙) at 08:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
空海は興味深い人物ですね。
夢枕獏の作品はいくつか読んでいるのですが、
この作品は読んでいません。
一度じっくり読んでみたいと思います。
Posted by オコジョ at 2007年05月10日 14:06
漠さんの小説は全く受け付けない人がいますね。
奇想天外な話についていけない。
わたしはその奇想天外さがおもしろいのですが。
これは厚い本が三冊。けっこう長い話しですが、読み始めると止まらなくなりました。
お勧めです。
Posted by 謫仙 at 2007年05月11日 07:02
凄く面白い本なんですが、ちょうど金庸との出会いと重なってしまって、「所詮、普通の本だ」と僕にしばらく投げ出されてしまった不幸な本です。(笑)
獏さんの自画自賛も間が悪かった。

仏教と言えば『涅槃の王』も凄かったですね。
あれは「解説」ではないと思いますが、あそこまで正面からブッダの覚醒を描き切ったものは他に知りません。
この作品の空海の万能性は、「覚者」というよりむしろミステリーの「名探偵」の方に近いかなあとか思います。ちょっと卑怯(笑)。でもそれが楽しい。
Posted by アト at 2007年05月13日 00:53
アトさん。
空海は名探偵に近い気がします。陰陽師の安倍晴明のイメージですね。
わたしは漠さんの自画自賛は好きなんですが……
『涅槃の王』も読んだのですが、なかなか推薦文が書けなくて、そのままになってしまいました。
第一巻の幻獣変化の円生樹の話を読んでから第二巻以降の真獣変化まで間を置いてしまって、期間も長かったので、もう一度読み直さないと、推薦文が書けません。
それはともかく、わたしは金庸とは、競合することはありませんでした(^_^)。内容も時期も違っていましたので。
「上弦の月を喰べる獅子」も仏教哲学の話しでした。
Posted by 謫仙 at 2007年05月13日 07:19
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