1878年(明治11年)岩崎弥太郎が、近隣の藤堂家・前田家・安藤家の屋敷とともに手に入れて別邸を造った。このときの広さが396000平方メートルである。

池のまわりを反時計回りに歩くと最初に目につくのは田鶴橋。
田鶴橋は通行禁止、中の島へは行けない。
巨大な石灯籠が目立つ。
渡月橋
二つの自然石を繋いだような石橋。車椅子では通行できない。
反対側から見る。
渡月橋を渡って池沿いに左へ行く。田鶴橋が自然に溶け込んでいる。
振り返る。この左に渡月橋がある。
池の水はかなり濁っている。
金黒羽白(キンクロハジロ)であろう。冬鳥のはずだが。
六義園は躑躅の名所として知られていた。
藤代峠(ふじしろとうげ)はもちろん築山。
ちょうど躑躅の季節であった。
ここでは躑躅は単独ではなく、他の低木と一緒で、自然な感じを出している。
山吹
太田道灌の故事で知られる。
吹上茶屋を過ぎたあたり。
桜が咲いていた。山桜であろうか。
中之島の先端。池の中の岩が蓬莱島である。こちらからは形が良くないが。
都会の喧騒を忘れさせる落ち着いた雰囲気がありますね。
柳沢吉保の設計だそうですが、見事な配置ですね。
水道橋の後楽園とともに素敵なまとまりを感じます。
岩崎家は凄いですね。
湯島近くの旧岩崎邸庭園、清澄庭園も三菱の関係でしたね。
土佐の郷士から身を起して、一代で大富豪になった明治の紀伊國屋文左衛門かも・・・
もっとも文左衛門は二代目で没落したようですが・・・
キンクロハジロは冬鳥ですが。割とのんびりと北に帰りますね。
こちらでも今頃まで見かけることがあります。
岩崎弥太郎はほとんど同じ頃、旧岩崎邸庭園や清澄庭園も造っているのがすごい。
しかもこの庭園もその広さが、今の4倍以上とあっては、絶句してしまいそう。
いろいろ批判もありますが、江戸時代の遺産を守ったことは高く評価できますね。
キンクロハジロは近所でも見ることがあって、居着いてしまったのかと思うことがあります。
ようやく、写真の整理ができましたが、忘れていることも多く、この写真はどこだっけ。まあ順に撮っているので、なんとかなりましたけど。
平地にこれだけの起伏をつけて、力のある人はすごいと、今更ながら感心してしまいます。