トンデモ本というのがある。そこに書かれたことはもっともらしいが、常識を働かせれば、多くは素人でも嘘を見破れる。
この連作短編集は、各編の主人公たちを、矢澤潤二がトンデモ情報をもっともらしく解説し、説得するのだ。
結果は、本当かどうか判らなくても説得には成功する。しかし、何の目的でという疑問がのこる。
昨年の大幇会(たくせんの中国世界)で、秋梨惟喬さんと話をする機会があった。そのとき、「またおかしな話を思いついたら書きますよ」と言っていたが、もしかすると、この本が頭にあったのかも知れない。
トンデモ本といえば、松岡圭祐の万能鑑定士Qのシリーズなどもトンデモ本に近い。そのトンデモぶりを書いたら、松岡ファンらしき人から、何度か罵詈雑言を含むトンデモコメントが入った。そのコメントはわたしの書いたことを理解していない、見当違いのコメントなので、今は残していない。
秋梨さんは金庸の侠客行のオチを「ぶっ飛びますぜ」とどこかに書いていた。それを肯定できる人だから、トンデモ本のおかしさを簡単に見破れるのだろう。そして逆にトンデモ本のおもしろさを利用してこの本を書いたのか。
もっともらしく語る超能力、UFO、徳川埋蔵金、百匹目の猿理論、等々。
その目的は、金庸と同じく、「訊かない約束です」かも知れない。
例を挙げる。
百匹目の猿というのは、幸島の猿が芋を洗うことを始めた。まねをする猿が出てくる。これがある水準(たとえば100匹)に達すると、全部の猿が洗うようになり、同時に関係の無い他の島・他の地域の猿も洗い出す。同じ原理で、殺人事件が発生する。この矢澤の説明は本当か。
こんな怪しい説明は何のためか。これが矢澤潤二の微妙な陰謀という連作短編集だ。
幕末の小栗上野介の隠した黄金の話もある。
財政は逼迫し、薩長軍あいての軍も満足に組織できないほどなので、幕府に黄金があるはずがない。徳川幕府再興のための黄金があるなら、それを今使って幕府を守れば良い。あったとしても、その隠し場所をわざわざ暗号化して、公表する必要は無い。黙って子孫に伝えればよいはず。黄金伝説にはこのような動機が怪しい話ばかり。
1、わたしは間違いと思えるところを指摘しているのみ。
あなたのコメントは、わたし個人の非難ばかりで文の間違いの指摘はほとんど無い。読者が不愉快になるコメントは残すことはしない。
また、わたし個人宛のコメントは読んだら削除する場合がある。残す必要がないから。
当然あなたのコメントも、あなたがわたしのコメントを読んだころをもって削除する。つまり不許可処分。
2、コメントを許可するかどうかは、管理者の勝手で、許可制にしている場合も多い。わたしは一応許可して、読んでから不許可にする制度にしている。
3、許可するコメントの例。
千里眼 http://takusen2.seesaa.net/article/99677342.html のコメント。
4、わたしは松岡圭祐を理解していない。しかし書かれた小説は理解できる。そこで疑問を書いたのみ。疑問の内容が、トンデモ的な部分が多いということ。
わたしの指摘した疑問に対して、これこれの理由で間違いではない、というようなコメントなら許可する。