2015年06月27日

楊家将演義

完訳 楊家将演義
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岡崎由美・松浦智子訳   勉誠出版   2015.6
 昨年の 第10回武侠迷大幇会2 で岡崎由美先生が、「いま楊家将を翻訳しています」と言っていた。それがようやく完成し、6月5日に勉誠出版から出版された。
 わたしは事前に予約しておいたので、5月31日に受け取ることができた。上巻・下巻の二冊本であるが、同時に解説本もあって計三冊。
 上下巻を読み終えたところである。
 楊家将演義(ようかしょうえんぎ)は明代に成立したいわゆる通俗小説だ。元ネタの楊一家の伝説はかなり前から有った。
 訳者解説によれば、楊家将演義は「北宋志伝」全五十回と、「楊家府演義」全五十八則の2作品ある。同じようでも内容に異同がある。北宋志伝は体裁は歴史書に近づき、「楊家府演義」はファンタジーに近い。今回の翻訳は「北宋志伝」である。
 前に北方謙三の 楊家将 を読んでいるが、翻訳ではなく翻案に近い。内容は北方謙三の著作と言うべきで、おもしろいが物足りなかった。これでは楊家将を読んだとは言えないからだ。

 全五十回のうち楊家(の楊業)が登場するのが第九回。それまでは呼延賛を中心とする「呼家将演義」であり、本来は別物だったらしい。呼延賛も潘仁美に苦しめられ、一度は宋から離脱する。
 このように主役が登場する前が長いのが、中国文学の特徴だ。三国志の諸葛孔明が登場するまで、金庸なら倚天屠龍記の張無忌が登場(誕生)するまで、笑傲江湖なら令狐冲が登場するまで、というように。

 北漢が宋の侵攻に苦しみ楊家に助けを求める。それでいながら楊家は裏切り者扱いされ、楊業は北漢を見限り宋に臣従することになり、北漢は滅んでしまう。
 以後、楊家軍は宋の北方の守りの要となり、遼(契丹)と対峙する。
 ある日、…これで何年もたっている。
 宋の二代太宗は五台山に行幸した(第十六回)。ここは国境に近い。「前方に幽州を控え、後ろは太原」というが、太原から地図の幽州まで直線でも四百キロもある(行政区の幽州はここまで広かったのかな)。この後も幽州の名が出るが、地図の幽州とは別かもしれない。しかも太宗は景色がいいと幽州に入っていく。
 遼軍に知られ、邠陽城で囲まれてしまう。楊業が助けに行き、ここで戦いになる。
 楊業には、七男二女いた。
 この戦いで、長男楊淵平(えんぺい 延平とも書かれる)、次男楊延定(えんてい)、三男楊延輝(えんき)が戦死。
 四男楊延朗(えんろう)は捕虜となる。まもなく遼の瓊娥公主の駙馬(むこ)になっている。
 五男楊延徳(えんとく)は、五台山に逃げて出家する。
 この後、楊業は六男楊延昭(えんしょう)七男楊延嗣(えんし)とともに雄州に当たる。前線である。
 もう一人、義子の楊懐亮(かいりょう 懐亮)がいて、「南宋志伝」に出た。「北宋志伝」では出てこなかった。「北宋志伝」は「南宋志伝」の続きになる。
 長女は八娘(はちじょう)と呼ばれる。
 次女は九妹(きゅうまい)と呼ばれる。
 ふたりは母とともに汴京(宋の都)にいる。

 また戦いが始まる。それまで何年経ったか。
 総大将は宋の重臣である潘仁美で、その下に楊業と呼延賛がつく。結局、楊業は潘仁美の策謀により単独で戦い、敗戦となり李陵碑に頭をぶつけ自決する(第十八回)。しかも助けを求めた七郎は、罪もないのに潘仁美の命で射殺される。
 潘仁美は楊業などを死地に追いやったのがばれて、庶民におとされる。
 それからは六郎楊延昭が楊家当主となって活躍する。

 さて、下巻である。六郎楊延昭が中心となって、遼と対決する。
 出家していた五郎に援助を頼んだり、四郎に助けられたりしながら、なとんか遼を押さえ込む。その間に宗保(六郎の長男)が育って行く。
 六郎楊延昭が若くして亡くなり、楊宗保が当主となるころ、急に西夏が、勢力拡大をはかり、宋に侵略を図る。西夏との戦いで宗保は危機に陥る。そこで楊家の寡婦たち十二人が将となり、宗保を助け、西夏を打ち破る。

 全体的に「前号までのあらすじ」のような記述が多く、あまり思い入れが生じない。特に脈絡もなく、いきなりとてつもない超人が出てきたりして、アレッと思ったりする。そんな人物がいるならそれに備えよ、と思ってしまう。もっとも現代と違い、通信手段も限られているので、知らなかった、なのかな。そのあたりは演義らしい展開である。
 それから八王(趙徳昭)という楊家に好意的な王がいる。初代太祖の子であり、神宗を助ける。
 史実では、初代太祖の子は相次いで不審な死に方をした。趙徳昭(951−979)は太宗が即位するとまもなく亡くなっている。自殺したといわれる。趙徳芳(959−981)も不審にな死に方をした。神宗の即位のかなり前だ。だから八王は架空の人物と言うべき。その他楊家の女将たちも架空らしい。

 物語は、開宝8年(975)から乾興元年(1022)。およそ47年間。
以下は史実。
976  二代太宗 趙匡義(在位976−997)即位。
979  北漢が滅ぶ。
     太祖の子 趙徳昭(951−979)自殺。
981  太祖の子 趙徳芳(959−981)没す。
997  三代真宗(在位997−1022)即位 太宗の子。
1004 澶淵の盟(せんえんの盟)、遼と講和条約を結ぶ。
     歳費として絹20万匹・銀10万両を、宋から遼に支払うことになった。
1022 四代仁宗(在位1022−1063)即位。
posted by たくせん(謫仙) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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