昨日27日は明友会の碁会が1時からあり、日本棋院に出かけた。
第28回世界アマチュア囲碁選手権戦が28日〜31日にあり、その前の交流碁会が開かれていた。そのためか、いつもの一般対局室が使えず別な部屋になった。
もともと市ヶ谷の一般対局室の利用者は少ないので、問題はなく、わたしたち以外は2組10人にも満たない。
しばらくすると近くで少年たちのグループが検討会を開いている。他の部屋で打った碁の検討だ。指導しているのは蘇耀国八段らしい。
この少年の中にわたしの知っている顔を見つけた。
04年 囲碁雑記−プロを目指す少年 で書いた少年だ。思わず側により声をかけた。だがわたしの顔を覚えていなかった。当時のわたしは耳が隠れるほど髪を長くしていたので、印象が違ったのかも知れない。
その少年に碁を並べさせて、先生は言っていた。
「君はこの碁をどう思っている。いいと思うか、悪いと思うか」
まわりの少年たちの反応を見て、「ではそこでどう打てばよかったのか」というと、相手の少年と共に考え込む。
「碁を打った後で検討してないのか。ここで検討しなさい」と言って先生は席を外す。
その後もう一度覗きに行くと、先生の声に対して、少年たちはほとんど声を出さずに石を置く。
黒 この手がいいと思います。
白 それはこの手があってよくないでしょう。
黒 こちらに来れば…。
白 こうなって駄目です。
黒 そうかではもとに戻して、思い切ってここまで伸びてはどうか。
白 それのほうがいい。しかしそれでもこう打つと難しいのでは。
黒 それはこう打って対抗できます。
こういう会話が無言で交わされているわけだ。そこでも大勢のこどもたちの無言の声の中で、わたしの知っている少年は無言の声が小さい。碁会所でも無口であったが、手談でも口数が少ない。
とにかくこうして、元気に碁の勉強をしていることを知ってホッした。
私はアウトドアに目が行って、会社で昼休みに打っていたのを眺めたり、
休んだ時の代理で打ったくらいです。
打つといっても、1級の人に4目置いての置き碁ですが・・・
将棋と違って、可能性の大きさを感じます。
それも、30年前のことです。
若い人がどんどん、こうした、世界に入っていくと良いですね。
100対200000では勝負になりませんが、それでも増えてきて、レベルが上がってくれば希望があります。
数が増えると競争も厳しくなる。結果ほとんどの人はプロになれないわけですが、そうなると親としては判断に苦しむことになるでしょうね。でもたとえプロになれなくても、一芸を身につけることは人生を豊かにしてくれると思うかな。転身が難しくなるのですが。