案内地図 横1200ピクセル
1月のある日、次のような招待状が届いた。
囲碁の仲間と回る東御苑
皇居の一部として唯一一般公開されている東御苑をご案内致します。
〜略
11:00
大手門〜同心番所〜百人番所〜大番所〜富士見櫓〜松の廊下跡〜富士見多聞〜本丸跡〜大奥跡〜天守台〜汐見坂〜二の丸庭園〜平川門〜パレスサイドビル屋上
13:00
パレスサイドビル内の飲食店で打ち上げ〜
http://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/higashigyoen.html
招待者は囲碁仲間で、千代田区の観光ガイドである。もしガイドの組織を通せば有料であるが、個人の招待なので……。
1月27日、ガイド(女性)に案内されたのは男4人と女1人、5人であった。
わたしは11時少し前に大手門に着いた。
まず手渡された案内図、その一部が上の案内地図である。この日はこの順番に沿って進んだ。
大手門に向かって左側の堀、桔梗濠。
堀には氷が張っていた。沖縄でも雪という記録破りの寒波の後である。しかし、この日は一転暖かくなり、道も乾いていて滑るようなことはなかった。
右側の堀、大手濠。
江戸城の掘の名はすべて「濠」を使っている。
大手門だが、その高麗門(こうらいもん)。どういうわけかこの形の門を高麗門という。
大手渡櫓門
高麗門を入ると枡形の土地があり、突き当たりや左手には鉄砲狭間がある。そこを90度右に曲がると大手渡櫓門がある。防御のための造りだ。
この大手渡櫓門と高麗門を一緒にして大手門という。
「大手門とは何でしょう」ガイドの最初の問いである。
どこの城でも正門だが、なぜ大手門というのか、と考えていると、「正門」の声を受けて、「では裏門はなんというのでしょうか」これがガイドの本当の質問だった。
一呼吸置いて誰かが「搦手(からめて)門」。で、江戸城には搦手門という名の門はなく、半蔵門が相当すると。
櫓門を入り左に曲がると、入場札を受け取る。札は出るときに返却する。
入場は無料、開門は9時、閉門は季節によるが今は午後4時。原則として月曜と金曜が定休日。
途中4カ所の門の跡を通る。最初の門の跡を通ると、右手に同心番所がある小さな建物だ。
瓦の紋は鬼瓦が三つ葉葵、徳川家の紋。その他は三つ巴。
反対側は、三つ葉葵の下、左が三つ巴で右が菊のご紋だ。俗説はあるが、理由は不明。
次の門の跡
「中の門」の跡、角は石の積み方が算木積み。ブラタモリ小田原城でも紹介された。
写真がないが、左手には百人番所、伊賀者がつめたとか。中の門から先は殿様他数人の家来しか入れない。大勢の家来がこのあたりで、殿様の下城を待つことになる。
この石が、江戸城の石垣で一番大きな石。地中にも潜っている。
中の門を入った右側、大番所。
左の方へ坂道を登っていく。
石垣の積み方が、中の門の跡とは違う。坂は緩やかながら往時は階段だった。
ヘアピンカーブでこの石垣を回り込むと、最後の門の跡がある。「中雀門(ちゅうじゃくもん)」跡である。石垣は、無残に表面が割れて剥がれたりしている。火事によるという。(地図では8)
つづく