2016年02月03日

皇居東御苑 その2

江戸城本丸跡

16.1.30-1.jpg  案内地図 横1200ピクセル

 本丸の高さまで上がると、二本のケヤキが正面にある。

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 この二本のケヤキの向こうが城の中心で、本丸跡の大広場である。わたしたちは左に行く。
 左へ左へと回り込むと、富士見櫓がある。天守閣のない江戸城では、富士見櫓が象徴であった。

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 松の廊下跡を過ぎて……、松の廊下では判らない人がいるだろうと思ったが、見学者はほとんどが知っているという。
 ガイドの研修のとき、「あちこちでガイド以上に知っている人がいて、この松の廊下跡がその代表です」といわれたという。だから説明しません(^_^)。

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 この広場は奥が、中奥と大奥の跡、手前が表で政治の中心であった。この大広場にはびっしり隙間もないほど建物が並んでいた。
 明治天皇が来たとき、荒れていて、とても住める状態ではなかったので、蓮池濠の西に仮宮殿を建てた。そこが現在までつづいて新宮殿になっている。

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 石室、狭い石室で使用目的は不明。

 竹林がある。昭和天皇のお印が竹であったため。

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 キッコウチク
 
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 キンメイモウソウ

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 天守台。明暦3年(1657)の大火で天守閣は焼け落ち、以後は再建されていない。保科正之が幕府のトップであったとき、江戸の街を再建するのが先と、天守閣の再建を止めたという。すでに天守閣の時代は終わっていた。

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 天守台から見た大広場。
 今、天守閣を再建築しようという話がある。だがここは宮内庁の敷地であり、今上天皇など皇室は消極的であるという。近代化の波で消えたのならともかく、明暦3年以降存在しない天守閣を再現するのは疑問に思う。
 天守閣のないのが元和偃武(げんなえんぶ)の象徴といえないか。

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 桃華楽堂
 香淳皇后の還暦祝い(昭和41年)に建設された。ここだけが場にそぐわない異様な雰囲気。鉄線(クレマチス)のデザイン。

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 北側には武道館の屋根がわずかに見える。

   つづく
posted by たくせん(謫仙) at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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