案内地図 横1200ピクセル
天守台を下りて、汐見坂を二の丸跡へ向かう。かなり急な坂だ。汐見の名のごとく、すく近くに海が迫っていた。石垣の石も伊豆などから下の濠まで舟で運ばれた。
二の丸庭園に入る。冬景色。一部に武蔵野の面影を残した雑木林があるのだが、草は枯れて笹が足下を隠すのみ。
2004年の11月に来たときは、背を超すススキなどで武蔵野らしい様子だった。その4でそのときの写真を載せる。
建物は諏訪の茶屋。二の丸の唯一の建物。(休憩所を除く)
池は日本庭園に付きもの。池も冬景色。
池の向こうには菖蒲田などがあるが、菖蒲田は水を抜いている。
向こうの林が、冬の雑木林。
この錦鯉は見慣れない形をしている。
インドネシアのヒレナガゴイと日本のニシキゴイを交配した、ヒレナガニシキゴイ。
まるで大きな金魚のようだ。
池を半周した。
諏訪の茶屋の前には都道府県の木がある。
梅が咲き始めていた。平川門に向かう。
天神濠の近くが小さな梅林となっている。
まだ咲き始めたばかり。
この辺りは南側に比べて、研究がされておらず、今後に期待することになる。
松はどうしてここまでねじれるのか。
入場札を返し、平川門に向かう。写真は櫓門であり、この外には高麗門がある。
御三卿(ごさんきょう)はこちらに屋敷があったので、この橋を通って登城した。他の大名などは大手門から登城する。
櫓門を出ると左に不浄門がある。地図を見ないと判りにくいが、ここから帯曲輪を得て死体などが運び出された。生きてここを通ったのは浅野内匠頭だけという。
私たちはここを通らず(通れない)、高麗門から外に出る。
平川門の橋は木の橋だ。擬宝珠(ギボシ)には文字が刻まれている。
不思議なことに「大工」の文字が消されている。
今に残る、ただ一つの木の橋を通って振り返る。右が高麗門である。
大手門と同じように、高麗門と櫓門がセットになっている。
この後、パレスサイドビル屋上から平川門を見るとこの日一番の絶景が広がる。なお、そこでは撮影禁止である。
つづく
ガイド付きというのは良かったのでしょう。
皇居も広くて気持ち良い空間が広がっていますね。
桜のころは賑やかですけれど今時分は空いていますね〜
門が重厚で眺めているだけで素敵な気分になります。
梅の花も綻んで、ゆったりと散策できて穏やかな一日だったことでしょう(^^♪
この日の前後が寒くて、雪や雨でしたが、この日だけ春を感じさせる暖かい日でした。それでも基本的には冬景色ですね。
このメンバーの新年会にもなりました。(^_^)。
江戸城、話を聞いていると、けっこう複雑で、知らないことが多くありますね。
天守閣の再建を止めたのは保科正之ですが、この人は囲碁小説「天地明察」でも登場する囲碁界にとっても大事な人でした。
確定できないのですが、大奥3000人といいますが、あの広さから考えると900人くらいが上限ではないか。とも言っていました。
ガイドの研修でも教わるのですが、自分でも積極的に調べたり、先輩のガイドを現地で見たりして、覚えるのだそうです。